アルゼンチンつれづれ(214) 1996年09月号

「世界の百人の感動的な女人」のセリーナ

 『子供達が学校を終える時、何か区切りが付けられる』。その日が早く来るとよいような…いつまでも来ないでほしいような…。
 いよいよ由野がボストン大学のコンピューターサイエンスを、玉由がペパダイン大学の経済を卒業することとなった。玉由は一応経済学を卒業するけれど、本来の目標の弁護士になるべく勉強をするから、「あと三年は学生だよ」ということで、あいまいのままが継続されることとなった。
 子供達が小さい時から、「玉由と由野にはおばあちゃまが三人いるんだよ」と自慢していたけれど、三人目のおばあちゃま、アルゼンチンのセリーナが「孫達の卒業式に出席する」と断言してしまった。言いだしてしまったことは変えられない。
 五月卒業の由野と、八月卒業の玉由。二度も地球をかけての移動をすることになる、と思うとき、由野が「誰も来ないで。一人で卒業する」と言い張った。そこで、カリフォルニアの玉由の卒業式に、アルゼンチンからブラジルから日本から、と皆で集まることにする。
 かつては、世界のいたる所に、最高の存在として出掛けてはいたセリーナであり、現在も、室内装飾家、画家として活躍しており、つい最近は、クレオパトラやマザーテレサ、ジャックリーン・オナシス等と共に、世界の百人の“感動的な激しい女人”として名前をあげられたり、と大変な存在であるとはいえ、八十二歳になり「英語は大嫌い」という人を一人でアメリカまで旅をしてもらう訳にはゆかず、日本に居る私がアルゼンチンまで彼女を迎えに行って、一緒にカリフォルニアまで行く、というスケジュールが出来た。
どうしようもない暑さの日本を発って、カリフォルニアの玉由の所に寄ると、輝かしい太陽のもと、とても涼しかった。夜など寒くてあわてるほど。途中のマイアミは、けっこうな蒸し暑さだった。ことのついでの用事を済ますべく、ブラジルのサンパウロに行くと、常のブラジルと違って寒かった。暖房設備を必要としないサンパウロで、冷えた足に困っていた。アルゼンチンに着くと、本格的な冬だからコートを着た。こちらは、どの家も床暖房になっているから、温かく温かくしていられた。
セリーナは、一週間ほど彼女の範囲を留守にすることで、テンテコ舞をしていた。やっぱり“ひと”と食事をするということで人との和をはかりつつ、仕事が生まれてくるという訳で、食事づめ。セリーナとは別に私も、アルゼンチンにゆくと、昼も夜も“ひと”と食事をすることになり、何回同じ物が続くことになろうが、もう食べられないと思っても、ニコニコ食べる。
そして、セリーナと私、満腹のまま、カリフォルニアに向けて飛行機に乗る。
アルゼンチンでも最近では理解されないような、彼女が八十年来守ってきた習慣を、外国に出掛けてまでも押し通そうとする。私は出来る限り、彼女が違和感を持たないようにサポートに努めるのだけれど、「我慢しなさい」と言わなければならないことが多い。セリーナと私と十七時間程かけて、喧嘩しながらたどり着いたカリフォルニアでは、いつか映像で見たのと同じ、角帽にマント姿の、多民族にわたる人達の中に、私の玉由もまじって卒業式だった。
式の後、これまた多民族に及ぶ玉由の友人達に、日本人ではないおばあちゃまを紹介して乾杯をした。それにしても男の友達ばかりだったなあ。

 
 

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