アルゼンチンつれづれ(215) 1996年10月号
由野の仕事探し
『どんなに勉強をしても、自分一人で知識を持ち込んでいるだけでは何の足しにもならない。勉強したこと、今までの地球を駆け巡った経験を実社会で生かすような仕事をするように』と家族の考えのもと、由野が仕事探しにとりかかった。
日本の就職状況のような、皆一線上に並んで同じ行動をする、ということを知らないから、のんきなもの。五月に卒業をしたから、もう三ヵ月以上にもなる。「どの国で働こうかな!」「どんな会社にしようかな」「自分は、いったい何がしたいのだろう?」とただ考えている。由野の場合、仕事をする可能な地域が地球規模であったことがまず戸惑いで、『どの国』ということが一番の難しい選択となってしまっている。
いま、需要の多い勉強をしたから、「卒業したばかりで、そんなに好条件があるの」とびっくりするような求めにも、「ボストンはもう住まない」と断わり、「ロサンゼルスの暮しは自分に合わない」とまた断わる。
「しばらくヨーロッパでワイン造りをしていたいなあ。ブドウを足で踏んで作るような。今、丁度シーズンなんだけれど……」と夢を追うばかり。卒業と同時に、行くあての定まらない由野の家財?はボストンのトランクルームに治まり、スーツケース一つの身軽さで、ロサンゼルスの玉由の家へ居侯をする。 玉由は私以上に由野を保護しなければいけない存在と思っているから、食べる物、着る物、ヘアースタイル、友達、言動……すべて玉由の思い通りに、可愛がるといおうか、おせっかいをしすぎるといおうか、一緒に居ることが嬉しくて放っておかれない。
そこで息抜き。由野はまたスーツケースを提げて、ブラジルの父親の家へ。父親の会社の従業員は各自パソコンを使って仕事をこなしてゆくことになっているのだけれど、使いきれない部分が多いらしいから、由野は体の良い指導係りと重宝がられ、「このままブラジルに居なければならないことになったらちょっと……」と、今度は日本の私の所へ「しばらく行ってもいいかな」と逃避してくる。 由野が高校三年生で、そのころ住んでいたロサンゼルスの自宅から、一人でスイスの学校へと出ていってから、もう六年になる。「この辺でまた一緒に暮すのもいいなあ」と私はロマンチックに思うから、「日本で仕事をすることにしなさいよ」と誘惑をする。由野も、「ちらり」とそんな気になったりして、日本で仕事を探してはみたものの、面接で「貴女の短所は何ですか?」と質問されれば「え!短所なんてありません。長所ならいっぱいありますけれど」と明るく答え、どうもその辺で日本の人事レベルからはずれたらしい。 「知人に頼んであげられるけれど」と私。「だめ! 絶対誰にも頼まないで、思い通りのことが言えなくなる。思い通りの行動が出来なくなる。ハンバーガーを売るアルバイトでもするから人に頼まないで」と由野。
ここで私は、由野とのスイートホームをあきらめた。由野が私に頼むことがあった時には、心を込めて何なりとしてあげよう。それまでは見守っていよう。
「一番新しいことにチャレンジしている会社、たとえば映画の特殊撮影、またたとえると「スターウォーズ」みたいな、これから初めてすることの色や形や時間、音、効果……そういったことを計算出来る頭脳をコンピューターに教える。とても難しいことだけど、そんな仕事がしたいんだ。自分で探そうとしているから」と由野。
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