アルゼンチンつれづれ(217) 1996年12月号

パソコンがやってきた

 東京に小さく住む私の家に、机が三つある。絵を描く机には、もうすでに電話、ファックスマシンが割り込んでいる。食卓は、食事の度に移動させる“物”があるとはいえ、常に円を保っていなくてはいけない。積み置かれる“物”が無い唯一つの聖域であった原稿用紙を広げる机が、いよいよ運び込まれたダンボール箱四個の、パソコン機械やプリンターを置く場所になってしまった。大きめの机だったはずが“物”だけのスペースとなり果てた。
だいたいにおいて、古びた木や布や土が素材の、拙い手仕事のおもちゃ類ばかりが頑張っている私の家に、まったく不似合で大きくて、『こんな物どうしよう』と思ってしまうパソコンが居座ってしまったことに抵抗があり、なるべく近寄らないように、横を向いて暮らしていた。
丁度、コンピューターの専門家由野がいまだに居候をしていてくれるから、外国への連絡など、「お願い」、と一言で足りてしまい、「毎日の私の短歌を載せるホームページを開きたい」と言えば、たちまちそんなこともかなってしまう。私は短歌を紙に書いて、「今日はこれ」と言えばよい。そして、現代の先端のことに参加しているという気持にもなったりして、という状態であったけれど、よく考えれば、そんな呑気なことがいつまでもまかり通るとも思えない。機械類とは別に、もう一個のダンボール箱には、パソコンに関しての本やソフトがいっぱい入っている。読むなり何なりしないといけないに違いない。気にはしつつ、手に取ろうとはしない日々が月となって過ぎてゆく。
由野といえば、「夜の方が安いから」と、何が安いのか訳もわからない私が寝る頃からパソコンの前に座り、私が目覚め起きる頃、「寝ようかな」という。由野が世界にいる友達と連絡し合ったり、まだ在学中の仲間の宿題をやってあげたりしているインターネット使用中は、我家の電話は使用不能となってしまう。「どうなってしまったの」という問い合わせには、「今、電話とインターネットと両方使用可能なラインを電話局に頼んであるのですが」と言い訳をしつつ、もう二ヶ月電話が『掛からない、掛けられない』という時間が我が家に存在する生活を続けている。
 いつまでも由野がいてくれるとも限らず、意を決して教えを請うてみたら、一枚のソフトをパソコンに入れて、「まず、このソフト言う通りにしてみなさい」。「驚いた」。私は普通の人なのに。きっと、パソコンをいじろうとする人は普通のおとなの人だと思うのに。画面にピロピロとアニメのカンガルーが現れて、幼児語で指示をする。「誰がこんなこと考えた!」。普通に順序よく教えてくれれば何も問題ないものを…。しばらく怒り狂っていたけれど、知らないということはなさけない。スペイン語の時の経験がよみがえった。知らないことは、赤ちゃんなのだ。私の人生、何度も赤ん坊に戻されるんだなあ…あきらめてカンガルーに従った。
そして、ロサンゼルスの玉由のメールボックスにポソポソと字を拾ってメッセージが送られた。私の短歌も、世界に向けて発信したことにはなったけれど、どう考えたって世界の人が見てわかるものではないし…今の世のことに参加したという、ただそんなことでよいかな。
私のホームページ『今泉由利の今日の短歌』のアドレスは
http://imaizumiyuri.jp/』。ご覧になって下さい。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。