アルゼンチンつれづれ(218) 1997年新年号

奈良吟行

 「雨が降るだろうか」。「風の日になるかしら」。どんな天候であってもいい、その時のありのままを楽しもう。寛容にすべてを受け入れたいと思ってしまう所、『奈良へ行こう』と、短歌の仲間達で申し合わせが出来た。
 私にとって、皆も同じかもしれないけれど、短歌は独りこっそり作るということであって、このところ、この独りの作業ということにかなり疑問を持ってしまっていた。発表する三河アララギ誌があることは、とても幸運なことだけれど、歌誌に載ったからといっても、自分なりに“何とか”は思うけれど、それを人に伝えるわけでもなし、また他からの反応があるわけでもない。すぐ反応をしてくれそうな歌友達はまわりに大勢いるというのに。
 反応のない歌を作り続けるむなしさはもう改めなければ。他人との交遊によって、自分独りでは気付けなかった言葉や状況を知り、凝り固まった独り善がりにも、他人は自分と同じではないことを知るだろう。沢山の会話と文字と心とを知って、はじめて一つの言葉は、生き生きと魅力を発し、人の心を打つアートとなってゆく。
 七人で奈良に着いた。奈良に来られたという喜びは、皆同じ『喜び』という言葉だけれど、七人それぞれの個性がどんな言葉でそれを表現するのだろうか。同じ景色の中で、同じ行動をし、同じ物を食べ、見て、一夜寝て…かかった費用は七で割り、手にした資料すらも全員同じ。ただ、奈良に着く前にどれだけ先人の文化、歴史を調べたか…その違いは少しはあったかもしれないけれど。
 同行中唯一の男性A氏は、見ゆる草木はただちにその名前を指摘し、千余年に及ぶ大和の、この道を行った先人の歌をたちどころにひもといてみせる、というほどなのに、磁石のNSを反対に読み、当尾の石仏道を、後に続く私達共々ぞろぞろと迷ってしまう、という可愛さも持ち合わせた人。
 華著な容姿のB女史は手作りみかんを沢山携えていて、旅の間の皆のビタミンを補ってくれた。海龍王寺や西大寺辺りでフッと姿を消してしまうバガボンドの人で、見失わないように、いつも私の視界の範囲に彼女はいた。
 C女史。空も大きく、見渡しもだだっ広い犬つげの円柱群が、千年の昔を偲ばせる平城宮跡。こんな清々しい所はまたとないだろうという所で、犬のウンコを踏んでしまった人。それから後、彼女がまた踏まないように、私はずっと気を使っていた。
 D女史。上り坂は得意でドンドン行ってしまい、岩船寺から浄瑠璃寺へと下る坂道などもうもうダメでドンドンおくれてしまう人。宿での皆の歌談義には逃げだしてお風呂に行ってしまい、今にきっと変った歌を作るだろう。
 E女史。明るく聡明だから、次から次から思いが先ばしってしまい、ただ足だけが十分の一秒かしら出遅れて転びそうになる。全員の全行程の失敗も成功も何もかもユーモアに導いてしまう貴重な人。
 F女史。あったかくてやさしくて、するともなく何でもかでも請け負ってキチンと決めをつけてくれる。つい甘えて、皆それぞれが持つボケの部分で集団になっていられるという女神みたいな人。
 私。「お寺はもういいよ」とぼやきつつ一番後からついてゆき、宿での酒にそなえて無人売店の漬物などせっせと調達しておった。 この七人で、それはそれは大きなものが醸し出された。

 
 

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