アルゼンチンつれづれ(219) 1997年02月号

羽子板市ほうずき市

 「今年もとうとう羽子板市を残すだけとなりましたね」と、見知らぬ人とでも、ふと袖が触れ合う時などにこんな「あいさつ」をしていると、たちまち十二月十七・十八・十九日の浅草寺の羽子板市となってしまう。
 何はさておき、出かける。プラスチックの白とピンクのまゆ玉、ゆらゆら賑わう仲見世を通り過ぎ境内に入ると、羽子板の店がひしめいている。
 私が小さかった頃、長板に泥絵具で女の子が描かれている羽子板で羽根突きをしたけれど、歌舞伎役者の名場面が押絵で作ってある大きな立派なのでも羽根を突いてみたくて…。内緒で持ち出して羽根を突いたら役者の顔がぬけ取れてしまい、あわてふためいた経験がある。もちろん、差し込んでのり付けをしたから押絵の羽子板の構造はよく知ってしまった。その昔のままの図柄のものと、今風の流行の顔と、とにかく沢山の店全てが羽子板しか売ってないのがおもしろい。すでにお正月のように正装している売手。値段はついていないから、買手との取り引きもまた楽しむのである。そして誇らしげに大きな羽子板を抱き抱えている人とすれちがったり、ぶつかったりの人混みを通り抜けて浅草寺境内の裏の方へまわるとそこはガサ市。お正月の神様をお迎えするための飾り物市が開かれている。大根のように太い大根じめ、ゴボウのように細いゴボウじめ、輸かざり、玉かざり…。青く乾いたわらの匂いが神々しいといおうか注連縄飾りの店が並んでいて、「お正月の仕度をしなくては!」と思う。
 長い間、日本を留守にしていたから知らないことが多い。少しでも取り戻したい気持で都合がつく限りいろいろな行事等に出かけてみることにしているけれど、あまりの人出にあきらめてしまうことも多い。
 浅草寺には本当に興味深い市がたつ。夏のほうずき市も、何とうるわしいことを考えだしたんだろうと、わくわくしてしまう。
 この日一日で、観音様に四万六千日分という一生をかけてもこなしきれない日数分のお参りをしたことになるという不思議なご利益もうれしいし、もともとは子供の疳の虫封じや子宝の薬としてほうずきが売られていたというのが始まりといわれ、この日の為に、路地よりはやく色付いたほうずきのかわいらしさに、江戸風鈴が添えられて、何とも清い。売り手は、羽子板市とは違ってパッチにねじり鉢巻。ほうずきに並んで緑の釣忍が水をしたたらせているのが涼しい。ほうずき市に来るまでこの釣忍というのを知らなかった。下町の友人宅を訪ねた時、明け放たれた縁に釣忍がさがっていて、まず目から涼。東京の生活はこのように夏を過ごしたのだと、つくづく見入ったことでした。
 先日、東京都内在住者向けに、江戸時代から今日に至る『会う、集う、交わる』というテーマの江戸東京自由大学が開校されて、私も幾つかの講座に参加した。子規、虚子、漱石等文士達が知り合い、認め合い、反発しあい…。それぞれの作品に新しい世界を築いていった話。芥川龍之助の東京下町に住むが故に身辺雑事を書けなかった話、斎藤茂吉の恋とうなぎ好き、久保田万太郎の東京あれもこれも老舗のうまいもの網羅。
 すぐ芸術に入り込める所に住んでいるのだから、私の生活も芸術に近づけてみようと、どじょう鍋にせっせときざみ葱を盛りあげて、山楓も七味唐辛子もいっぱいかけて…と駒形の客となったりして、活字となって人々に浸透していった先人と同じ味を知る。そして、ゆっくり考える。私は本当は何が好きなのだろうか。

 
 

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