アルゼンチンつれづれ(220) 1997年03月号

アルゼンチンワイン

 アンデス山脈の麓、メンドサ地方へ旅をしたことがある。真っ黒な土がよく手入れされており、ぶどう棚はどこまでも連なっていた。世界第三位とも四位ともいわれる生産高を誇るアルゼンチンワインの産地。
 アルゼンチンの人達は、まず自国で一番上等のおいしいワインを飲み(この辺りがものすごくアルゼンチン気質)、残りを、フランスやイタリアに輸出し、フランスやイタリアのブランド名が付けられて、日本なり全世界に輸出されてゆく。
 アルゼンチンでの生活は、朝食をのぞいて物を食べる時には、とにかくお酒! というのが普通だった。
 ウィークデーの仕事中の昼食でも、ボトルの単位のワインを飲みつつ、二時間もかけたりしたものだった。道路工事や建築現場の人達の一日の仕事のはじめは、まず火を起し、燠をつくり、大きな骨付肉やチョリッソ(ソーセージ)等いっぱい網に乗せて焼き始め、あたりにアサードの煙と匂いとが漂い、肉が焼けるまでの間だけ仕事をして、肉が食べ頃に焼けると、ワインを飲みながらの昼食となる。
 夕方七時頃からは、青カビチーズやブリーの大きな塊から少しずつ切り取ってクラッカーに乗せたものをつまみながらの食前酒。すなわち焼酎のような強い酒にぶどう液を入れて作ったポルトワインやシェリー酒を飲む。 食前酒タイムはそのまま晩食となってゆき、だいたいにおいて赤ワインが合う物を食べ、デザートとコーヒーの後で、またブランデーやらウイスキーやらと。毎日こんなことを二十年近くやっていた。
 日本へ帰ってきてからは、日本酒に合うものばかりを食べているから、日本各地の地酒などを楽しんでいる、それでもアルゼンチンヘ行くと、以前飲んだぶどうの皮の渋味がしっかりとするワインを何本も持ち帰る。
 日本でアルゼンチンの味を再現することは出来ないから、私のワイン置場の『安心』として並べてあるだけなのだけれど。
 由野が我が家に居侯していた時は、毎日、赤なり、白なりのワインが一本も二本も空びんとなった。それで調達に出かけても、今や日本には世界中のどんなワインもあるのだから選びようがない。字で読んで買ってきては、“こんなんじゃなかった”と思うことばかりをくりかえした。
 先日、仕事かたがたロサンゼルスヘ行った時、カリフォルニアワインを飲んでいて、カリフォルニアワインの産地、サンフランシスコのナパ、ソノマ地方へ行ってみようと思いたった。
 コースト山脈の山懐の南斜面の日当りの良さ、カリフォルニア海流の寒流の涼しい風、この温度差の大きさがぶどうに適しているという。冬枯れのぶどう棚のあちこちにスプリンクラーや温度が下がった時のためのストーブ、そのストーブの温度を攪拌してぶどう畑中の温度をあげて霜よけをする送風機…等々が見られて、何物にも左右されずに作りたい物を作ってしまうアメリカのバイタリティに恐れ入ってしまった。
 今年のワインがオーク樽に詰められ、積み重ねられ、熟成を待つ態勢に入った時。冬枯れではあるが心ときめく立派なワインカントリー。
 数あるワイナリーでは試飲をさせてもらえる。アルゼンチン式の味に慣れた私の舌にはなかなかうまく合わなかったけれど、どんどん試飲して、幾つかの好みのワインに出会えた。お酒がおいしいと思える時、私は身も心も健康。

 
 

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