アルゼンチンつれづれ(221) 1997年04月号
由野の仕事
「由野の仕事が東京と決まったら、三階建の家に住もうね。三階が由野、私が一階。まん中の二階で時々出逢えばいいもの」「由野が通うことになる会社に近い所がいいから、仕事先が決まらないと家が探せない」などと、二人で東京で暮らす夢を追っていたのに、「え!また断ってしまったの」「由野が思っている仕事とちょっと違うんだ」「ずっと外国で育っちゃたから、日本の考え方と違ってしまって、どうも無理みたい」
「日本の企業で何年間か仕事をした後、ニューヨークとヨーロッパでも働いてみて、それから自分の会社を作るつもりなの」という由野の人生設計のまずはじめ、「お母さんのいる日本から」という日本の部分が、なかなか妥協点に達しない。
「おいしい物を食べ、お酒も良くて…。そして、いつまでも仕事をしないでいるわけにはゆかない」と、スーツケースを作りはじめた。ニューヨークヘ行くのだと。
航空券の手配、ニューヨークに着いての宿の手配、みんなインターネットを通じて行ったらしい。おとなしく全ての手配が終わると、「住まいが決まったら送ってね」という荷物を残して、「あっ」というまに行ってしまった。「こんなに簡単にニューヨークなんぞに一人で出してしまっても良いのだろうか」と思わないわけではないが、私だって由野くらいの年齢の時、どこにあるのかすらわからない国へ向けて、外国という何の素養もないまま出掛けていってしまって…。それでもちゃんと生きてきた。
私と違って、由野は世界中のどこの国ででも住めるように、世界が必要としている仕事が出来るように…。私が困った分だけ子供達が困らないように、ちゃんと教育をしてきたのだから。天災地変、何事からも逸早くのがれ得るだけの腕力、敏捷さ、判断力…。生まれた時から体操もさせてきた。
もう、心おきなく思いたったことをすればいい。
「ニューヨークの空港からはタクシーに乗って目的のホテルに着いた。ホテルの部屋に外から直接掛かる電語がついているから日本語で大丈夫だからね」
「外出ばかりだから携帯電話も持つことにした」…。何事も直ちに知らせてくる。
これでいつでも由野を呼びだすことが出来る。
ボストンの学生時代から、ちょくちょくニューヨークの友達を訪ねたりして「住みたい所」は決まっていたらしい。
たちまち「由野の家」という、東京の私の家より広い面積の家をみつけて、ホテルからの引越し。ボストンのトランクルームとロサンゼルスの玉由の所に預けてあった品々、私の所に置いていった物…。各々が、由野の新住所に向けて送られてゆくべく要望がなされ、私の所へは「抹茶茶碗はあるから茶筅と抹茶を荷物の中に入れておいてね」ということでまだ見ぬ由野の家へ向けて発送した。
「ちょっと高かったれど、一生使えるフライパンを買ったよ」「寝るのは大切だから、ゴロゴロ寝返り出来るような大きいベッドにしたの」「カーペットを敷かないといけないという法律があってね、今日買いに行ったんだ」「組立て式の机は、友達が来て手伝ってくれるんだ」
そして、やっと最後といおうか、「由野の家から歩いて二十分程の所に仕事が決まったよ。自社のプログラムをカスタマーにプログラムしてあげるという仕事なんだ」と。
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