アルゼンチンつれづれ(224) 1997年07月号
五月が過ぎた
五月が過ぎていってしまった。何をしていたのか振り返ってみると…。
一日。早朝六時に羽田に集合。北海道行きの飛行機に乗る。九時半には千歳空港に着いた。
そこからは観光バス。たちまち小樽。万葉集のことも古寺のことも考えなくてもよいからリラックスしていたら、千年の歴史に育まれたベネチアガラスに見とれることとなる。今度は、ヨーロッパに過ぎた千年の月日を思う。
積丹半島一周。アルゼンチンヘ着いた時より、「こんな所にまで来てしまった…」という感慨。見渡す限り笹が生えていた。あまりにも透明な海の色。
羊蹄山を濾して湧き出す水を飲む…というのもスケジュールの内で、それはさておき、すぐ京極という日本酒を見つけた。
「蟹など食べ放題にするとは自然に対する冒漬」と常日頃言っていたのに、気付くと夕食は蟹ばかりの席だった。困った困った。夕食のあともまだ札幌の夜景を見るというスケジュールが残っていた。
こんなような日が四日聞続いた。
五日。「バーベキューをするから」という電話で起きた。明治通り拡張で家がなくなってしまったと思ったら、善福寺に大邸宅となってよみがえった、代々木の時のお隣さん。「一人で居ると淋しいのかな」というような時にきっと電話してくれる友達。手羽焼と新潟のにごり酒で、まだ陽が当たっているうちに酔っぱらってしまった。
七日。クロッキーの日。最近のモデルさんはとてもいい。夢中になれたひととき。後、クロッキー仲間達とフランス料理。ビート入の赤いスープが面白かった。赤ワインを飲みつつ。
九日。訪ねてくれた友と近くの寿司屋へ。生とり貝とそのヒモ。黒部峡という冷酒。
十日。熱海のライフケアの母を訪ねる。天プラと鰺のたたきを出前してもらって、酒盛り。
十一日。熱海発一番で御津へ。三河アララギ編集会。夜、東京に帰る。
十二日。北海道の時の写真が出来た、と訪ねてくれた友と、近くの居酒屋へ。ボタン海老や鰯の刺身。酒は奈良の春鹿。
十三日。アルゼンチンの時からの友と二子玉川園で、すしと茶碗蒸しで生ビール。
十四日。クロッキー。後、BUNKAMURAでブラマンク展。後、駒形どじょう。ふり袖という駒形限定の升酒。
十五日。万葉集を読む会。後、戸栗美術館で青磁展。後、ふぐ刺とひれ酒。
十六日。神田古本市。百円で買った日本名歌の旅に興奮。蕎麦屋の蕎麦味噌で熱燗。
十七日。浅草、三社祭。“暮六つ”で鯛の頭を焼いてもらい熱燗。
十八日。豊橋勉強会。夜、東京に帰る。
二十一日。クロッキー。後、高田宏さんがポソポソ話しているのを聞く。
二十二日。クロッキーの友人達を我が家へ招いてアルゼンチンワインを飲む日。もちろんアルゼンチン風の料理を作った。
二十三日。友人と恵比寿の地ビールを飲みにゆく。ねっとりするほど細かい泡。
二十四日。銀座の文芸春秋画廊の友達の油絵展にゆく。後、御津へ。
二十五日。三河アララギ歌会。夜東京へ。
二十九日。俳句同人誌『青山』の偉い人達と原宿で飲む。富安風生の話、加藤等次さんのことが話題になる。
三十日。東京国立近代美術館でウイリアム・モリス展。私の若い日の目標はどこへやら。
三十一日。浅間神社のお富士さまの植木市へ。ゆすらうめが色付いていた。後、穴子の一本揚げを八海山で。もう六月がはじまっている。
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