アルゼンチンつれづれ(227) 1997年10月号

青森ねぶた

 日本の夏は、ほとほと過ごし辛い。毎年この時期冬の南米へ逃れて、その間に夏祭り、夏行事はみな終ってしまう。「ああ、また今年も行かれなかった…」の繰り返しだったのだけれど、「もう見に行く。情報ではない本物の中に自分を置いてみる」と決心をしてしまった。南米行きはとりやめ。
 まずは重要無形民俗文化財の『青森ねぶた』に出遭いたい。友人達からのアドバイスなどによると、「大変な人出で、とても個人で宿などとれるものではない」という。そこで、青森ねぶたと秋田竿灯の『みちのく二大祭り』というツアーに申し込みをした。“祭り”を一人で“見にゆく”という物好きはいないらしく、旅行社側のとまどいになってしまったらしい一人参加だけれど、受け付けてもらえた。これで足と宿が確保出来て、おまけに桟敷席まで用意されているという。
 東京から青森まで行くのには、東北新幹線に乗って盛岡まで、盛岡からは観光バスで東北自動車道を走り、ねぶた出陣前の黄昏時には桟敷席に居た。
 歌舞伎の名場面、水瀞伝、武勇伝、伝説、故事…にちなんだ大屋台に灯がともり、その勇壮さに圧倒されると共に、屋台一つ一つの物語が呼びおこされる。祭り人達の太鼓や笛やシャガラギのシャンシャン、跳ね踊るハネト達のゆかたに縫いつけられた鈴、ラッセラーラッセラーの掛け声…に醸し出されるねぶたの音。私の身体の芯にまで響いた青森の夜だった。
 次の日、十和田湖や奥入瀬へ行って時を過ごし、黄昏を待つと、秋田の夜空に巨大な光の稲穂を思わせて、竹のしなりと人間の力がバランスを取る微妙な動きがゆらりゆらり。 大人の竿灯の間々に、子供竿灯があり、もっと小さな三歳や五歳くらいの小人達までが行列をして、小さな竿灯の差し方を年配者に習っている様子もほほえましい。
 町中の一人一人が、老いも若きも赤ちゃんも皆必要とされる一つの目的の中に育って、人々は淋しくなんかないし、決して悪いことなぞに思いは至らないのではないか。
 和紙と竹と人間と、続くりんご畑と、稲の花盛りの田んぼはどこまでも…。みちのくに驚き目ざめて東京に帰ると、「裏の花火ですけれど」と、打上花火が開くあたりの高層ビルに住む友が多摩川の花火に招いて下さった。
 友人の窓からは多摩川原の花火をあげる仕掛や花火のセッテングも見渡せて、大変な数の見物人。
 スポ、シュルルルル、と花火があがる全部の音が聞こえ、花開き、ドーンとしめくくりの巨大音。尺玉百連発なんてすごいこともある賛沢な夜はふける。花火に裏と表があるのかな。
 長い間、大の字や妙の字に山が燃えるのを見たかった。
 「やっぱり行こう」と思ったのは午後になってからだった。東京からのぞみ号に乗って、京都大文字送り火の日。
 夕刻、京都に着き、タクシーに乗って「右大文字と左大文字と法の字、妙の字、舟形の六山全部の燃えているところを見せて下さい」と頼んだ。「そんな無理なことを言われても困る」と、右大文字の見える所まで連れて行ってくれて、「そこからは右に燃える大文字を見ながら鴨川堤をひた歩きなさい。のろのろしていると間に合わなくなるよ」と、教えられた。まつ暗く、シルエットの人々がいっぱいの鴨川土手を忍者になったように素早く歩いた。法の字が燃えていた。妙の字にも間に合った。三つの文字が燃え尽きていった。

 
 

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