アルゼンチンつれづれ(235) 1998年06月号

「引馬野考」

 三河アララギの主幹、御津磯夫は九十六歳を迎えた。幼少より短歌に親しみ、全生涯を短歌で貫き通してきた。
 そして、今までどうりが続いているのならどんなに良いだろう、と思う。この半年ばかり急に身も心も衰えて、すべてのことから超越した“自分一人だけ”の人になってしまった。
 聞いておかなければ、受け継いでおかなければ、ということは山ほどあったのに…。
 あまりのワンマンで、自分以外の同等、もしくはそれに近い人格は彼の世界には存在しなかったから…。自分が短歌に係われない日が来ることなんぞ毛頭思わない人だったから…。
いつかはそういう日が来るということは充分に承知してはいても。現実となると何とも淋しく、何ともやりきれない。張り合いのない思いが襲ってくる。
 それでも、三河アララギを、今までどうり続けてゆくことが全会員の望みだと思う。
 三河アララギ会は公の会であり、会員は皆同等で、世襲制とかいったことではない。いくらかの役割はあるけれど皆で運営をしてゆくのです。
 私がアルゼンチンに住んでいた時、父母が、強引に私を三河アララギの会員にしてしまってから三十年近く、地球の上で一番遠く離れてはいたけれど、短歌を通じて父母と心が通じあえていた。
 当時は気付かなかったのだけれど、私のアルゼンチンヘの引越し荷物の中に、母は、短歌に関する本を沢山入れて持たせてくれていた。気付かないで過した日は長かったけれど、気付いた日があった。
 父の考証「引馬野考」によって、斉藤茂吉先生がその実地検証に御津地方に来られた時から十ヶ月たって私は生まれた。共に歌人であった父と母の、人生で一番短歌だった時に私が生まれたことを大切に思う。
 父と母が、私を短歌の人につくりあげてくれた。途上ではあるけれど命ある限り短歌にたずさわってゆく。
 今、三河アララギの会員の歌稿が私の所へ送られてくる。ことの重大さに身が震える。 父ではない、母ではない、私の個性で会員の短歌を読む。皆の最善の読み手にならなければいけないと心する。
 短歌のうえで一番大切なことは個性だ。それぞれの心、それぞれの情景…、すべて把握出来ている訳でもないのに勝手に人の個性に手を加えてはいけないと思っている。
 でも、「こう言いたいのだろうに、こう解釈出来ない、このようにしたらもっといきいきと表現出来るのに」…と思うとき添削する。あとで読み直して、やはり原作どおりにしようと、消せるように鉛筆で書き込むことにしている。
 短歌は、“歌”なのだからリズムがなければいけない。いちばんリズミカルなのは、日本語の原点の五七五七七。この数字に忠実になってみる必要がある。声に出して読んでみて、ゴツゴツしているのは短歌から遠い。
 発表して活字になることは、自分のノートに書いて仕舞っておくこととちがって、読み人に対する配慮も必要となる。
 今月はどんな短歌を作っただろうか!あの人の短歌を読みたい!興味の対称になれるような魅力ある人間性。読み人に、何かしら“キリリ”としたものを残さなければ面白くない。歌稿を読んでいて、もっと話したい、話し合わなければ…ととても思う。

 
 

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