アルゼンチンつれづれ(248) 1999年07月号
「地球にてU」
〇酒はいい桜はいい恋はいい奈良橋教授の万葉講義
○ウイリアム・モリスの残せしデザインのマグカップにて今朝の珈琲
○茂吉翁の坐りたまひしあたりにて台風は激流す最上の川は
佐伯清美様
三河アララギ誌上でも愛読させていただいておりましたが、更めて楽しく読ませていただいております。スケールの大きな、自由な歌柄。御津先生がご高齢になられ、寂しい限りでございますが、今後は先生の分までご活躍、ご健詠を祈念いたしております。
○ほのぼのと喜び心湧きてくるモッコクの赤き実の見ゆる窓
○糸瓜水を一升瓶に集めつつ子規亡き月日の長くなりゆく
○今日の日も糸瓜が主役の子規の庭ふた巡りして帰りかゆかむ
土井たか子様
歌集名「地球にて」は、誰しも度肝をぬかれる名であるが、宣なるかな氏は、波静かな愛知県御津町生まれ。千三百年の伝統の万葉集に土屋文明、御津磯夫を重ねた今泉由利の歌である。
○父母の暮しの中に柿右衛門の器ありつつ育ちきたりぬ
○満月は昨夜の丸さそのままに月の明りのボストンを去る
成田小五郎様
新鮮な感覚で自由な詠風は仲々すぐれていると思いました。
○桃色に棚引く所は桃の花白く棚引けるは梨の木の花
○わが住まふ三階よりの階段ありこの世の中に繋がりゆけり
面谷哲郎様
以前の歌集では、のびのびしたスケールの大きな空間性に感じ入ったことを憶えています。この度の歌集ではその空間性に、より日常的なものが加わっていると感じました。例えば
○留守にする我家に鍵を掛ける音たった今までの私のにほひ
の一首などなにやらぞくりとするようで、女性でなければつくれない歌ではなかろうかと思ったもの。それにしても歌に示される訪問地の多彩さには驚かされます。歌は感性や精神の足跡であると共に、日常空間の足跡でもあると気付き、興味深く思いました。
駒ヶ嶺泰秀様
美しい絵の表紙、裏、歌集にふさわしい思いが致しました。地球的規模のスケールの大きな歌が多く、
○東寺なる五重塔の影の上に私の影を重ねてしばし
○朝の光に五重の塔の影長し透彫りあり水煙の影
○素足にて三十三間堂に入りゆきぬ千体の仏は素足におはす
会津八一の「鹿鳴集」を読んでいるようです。
保坂征子様
一首一首がはっきりとした手触りを持っていると感じました。上滑りではない、筋金入りの「力強さ」「素朴」「純心」に触れたように思います。
○鮮やかに黄色冴えをり菊の花のすがたのままのテンプラですよ
こんなふうにも詠う方なのだと嬉しくもなりました。
○無限とも咲き満つる桜の花びらの今の幾ひらは私に散る
“この一首”といわれたら私はこのひとつを選びます。 つづく
|