アルゼンチンつれづれ(252) 1999年11月号

日蓮上人の系

 今、「自分は何がしたいか」「何を思うか」しばしば自分自身に聞いてみながら暮らしている。
 日本の人達が、しっかり固執していることにも、「どうして!」という思いを平気でするし、もちろん、すんなり参加することの方が多いけれど。
 仏壇の前に座らなければ父母を偲べない、と思ったことはない。両親という最大に大切な存在は、自分なりの方法で心ゆくまで偲びたい。所かまわず、いつも身近に思っていたい。
 そんな日々、縁あって知り合った東京谷中の本行寺の住職さんが、「お彼岸の法話を聞きにいらっしゃい」と誘って下さった。
 本行寺は月見寺ともいって有名で、松尾芭蕉が定宿にしていたという俳句寺、日暮里にある。
 谷中墓地の駅、日暮里はこの日お墓参りの人であふれ、駅員が交通整理をしていた。電車の中も、供花を抱えた人で満員だった。お墓参りは、この日でなければいけないということに目を見張る。
 本行寺境内は、芒が穂を出す、竹やぶ、白萩、紅萩、ざくろの実が色付きはじめている。
 『ほっと月がある東京に来ている 山頭火』『陽炎や道潅どのの物見塚 一茶』。道潅丘碑の前には彼岸花。読めないもの、読めるもの幾つもの歌碑。句碑。
 まずお斎をいただく。神田志の田の細海苔巻とシャキッと蓮がさわやかな稲荷ずし。法事に来た思いがわきでる。
 本堂、日蓬聖人が真中、観音様がまわりを囲む。
 日蓮聖人の母親の名字は「貫名」といい、ずっと今日まで続いてきており、我家は、日蓮聖人の家系であるのに、高山の父の代、高山姓が消滅してしまうことを惜しみ、養子縁組をして高山を名のっている。
 七百年もたってしまっても現れるものなのだろうかと思うけれど、私の子供達の父親は、誕生寺の日蓮幼像、清澄寺の像、資料文献、ここ本行寺の真中に座っておられる日蓮聖人…とそっくりの顔をしている。それなのに我家は日蓬宗ではないのはどうしてだろう。  おもいしずか
 「意は 静寂なり」の、法話、読経と共に塔婆が奉納され、お題目と太鼓とうちわ太鼓と、その中に浸りきって、常にもつ思いから、すっかり解放され“無”になっている自分に気付いた。“無”になれる時、を求めて絵を描いたり、あれこれと努力している毎日に。
 アルゼンチンの私の母、セリーナが日本に来ていた時、彼女の習慣の「教会に連れていって欲しい」と。近くに適した所がなかったから、「人間の心の根本は同じなのだから」と、お寺に案内したことがあった。彼女は、この提案を大変よろこび、お寺がある度に、彼女流のおまいりをした。
 セリーナはスペイン系アルゼンチン人、国も宗教も人種も異なるけれど、何の違和感もなく、むしろ異なりを大切に付き合っている。
 山の手線や京浜東北線や、その他沢山の電車が通る線路のすぐ横にある墓地にゆくと、享保、天保、文久、寛政、文政、安永、明和… 江戸時代からのお墓が続く中「永井尚行の墓」を見つけた。三河奥殿藩主松平乗(のりただ)の子。旗本永井能登尚徳の養子となり、文化年代、日本初の外国奉行になったという。 三河から、外国にかかわり、時代を生きた内容を異にするけれども親しみを覚える。
 人は生れ、それぞれの方法で生き、お墓として残る。

 
 

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