アルゼンチンつれづれ(253) 1999年12月号

由野のシェフ修業

 アルゼンチンに生まれ、アルゼンチン人として育たなければいけなかったし、正しい日本人でもなければいけなくて…英語も仏語も。
六人兄弟の下の方に生まれ、期待もされなく育った私は、自分の子供達についてはせめて私が沢山の夢と希望をもってあげよう。世界で生きてゆける人間に育つように…。地球を単位に動きまわることを子供達に強いた。 子供達は、よちよち歩きの頃から、私の「ゆきますよ」の一言で、自分の旅での必需品を抱えて玄関にいた。
そんなわけで、とにかく何かをしていなくてはいられない体質になってしまったらしい。 由野がニューヨークで勤め始めて一年ほど、“女性”を言わない部門での仕事だから、二十四時間態勢の夜中の勤務、早朝の勤務の時も経過し、部下をもつ身分ともなり、少しゆとりができたらしい。勤務後を、“五つフォーク”のフランス料理レストランが経営する『レストラン経営をめざす“シェフ”養成学校』に入学してしまった。「明日は、包丁で野菜の皮をむくんだって、どうしよう」。と日本の私へ電話をかけてくる。まさか以前みたいに「うちの子には皮むき器を使わせて下さい」なんて、もう私は言ってはいかない。
幾晩か自宅で、じゃがいもや人参と格闘したらしい。
「何とかなった!由野よりひどい人もいた」 営業用のどでかいずんどう鍋でスープストックを作るのなんて、由野みたいな小さな子が「いったいどうするんだろう」と気を揉んでいると、「体操で鍛えたから何のその。由野が入れるくらい大きい鍋は、大きな男の外人さんでも二人で持つんだ」「やけどだらけ」「ものすごい暑さだよ」「肉はね、動物の姿から解体するんだ、ギャーとか言って、とびあがっているの」「魚はもっと大変。うろこは飛び散るし、腹わたは本当気持悪いし、とにかく手も服も臭くなってしまう。」
 パイ皮作り、「すごく沢山バターを入れるんだね」。シュークリーム作り、「やっと白鳥らしくなった」「時間を正確に、分量も正確に…このへんは由野らしいから」
 失敗談、成功談、国際電話はえんえんと。「学校中の先生、生徒、百人くらいの賄い料理の当番を二人だけで二ヶ月間もするの。一人当り二ドルしか使えなくて、前の日に計画して、材料を頼んで…二ドルじゃ魚は使えないし、せっかく日本人だから少しは日本風にしたいのに、暇も手間もかけられなくて」それでも醤油べースにしたり、昔食べて育ったアルゼンチン風にもアレンジしているらしい。
 料理学校なぞ通ったら太ってしまうのだろうと思っていたら、「あまりの忙しさ、重労働に、やせてしまったよ」
 「大変、上の級に上るのにテストがあるの、落ちたらまた始めからやり直しとか、やめてしまう人が多いみたい」
 レシピどうりの調味料の分量とか、何がでるかわからないテストに向っての自宅でも努力があったらしい。「ジャッジがテーブルに着くのと同時に料理が出せて、食べ終るのと同じにデザートが出来上らないといけないの。その加滅が…」「優秀な成績で合格した」と言ってきた。
 そして今は学校直属のレストランで実際に、「魚料理を頼む人があると由野が作るんだ。ちゃんと食べてもらえるよ」
 「あと二週間で肉料理の方に移って、そしてデザートの係にもなって…」

 
 

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