アルゼンチンつれづれ(262) 2000年09月号

ベトナムへ

 夜更けて電話が掛った。日本と二時間時差のあるベトナムからだった。
 アルゼンチンに住んでいた頃、新しく赴任してきて様子不案内の大使館や通信社の若い人達が、先にアルゼンチンに行っていた我家へいつも集まって来てくれて、ひとつの大家族みたいに過ごしていた。
 あまりにも日本から遠くになってしまった故、工夫しては日本風の食事を作り、私の知ったアルゼンチンを紹介し、それぞれの専門を、郷里を語り、お酒を酌み合い、私は、そんな若い子達の母親になっているような気持でいた。そして、アルゼンチンの我家から、また他国へ赴任してゆくのであり、私は赴任先の国を訪ねてゆく。
 あのころから長い年月がたち、新米だった子達が、働きざかり、ずいぶん偉くなっているらしい。
 「ベトナムでの任期がもう長くないから、こちらにいる間に是非いらっしゃい」と招いてくれて、「あの子達がいるうちに」という気持になった。
 ベトナムのビザがすぐ取れるよう手配してくれ、飛行機の予約も出来、出掛ける。
 香港を経由してゆく。ホーチミンの方が大きな都市だということだけれど、日本大使館はハノイにあるからノイバイ空港へ。
 ハノイに近付く上空から、まだ植えられてまもない早苗であることがわかる田んぼが、どこまでも広がる。お米の国の上空に居ることは、とてつもなくワクワクすることだった。
 五年前には出来上るはずだった、という大きな空港はいまだ造りかけ。その隣りの古ぼけた陰気な空港に着いたが、不安はすぐ終る。
 なつかしい「家族」、大使館ナンバーの車で迎えられた。
 ベトナム、ハノイの町へ入ってゆく道は、上空から見えたとうり、どこまでも水田。小さく区切られているどの田にも菅笠をかぶった女の人が、田の草を取っているのか。畔には天秤棒をかつぐ人、男の人はベトコン帽。そういえば皆帽子をかぶっている。
 蓮沼に花。バナナ畑の繁り具合が、この地の気候を思わせ、牛があちこち、道路にまで、車などものともせず座り込んでいたり。
 日本の私の育ったあたり、牛を使って田を耕していたのを覚えている。牛車に、人も物も積んでいたっけ。
 初めて来た国なのに、ずっと知っていた風景。籠や練炭、生きたにわとり、…それぞれを満載した自転車の人々、二人乗り三人乗りのオートバイ、その群の間をぬって、突如立派なホテルに落付く。
 ベトナムに来たらベトナム料理。生春巻を作るライスペーパーにもいろいろあった。乾いた物だけを知っていたのに、今出来たて、蒸したての、ライスペーパーになる前を、ヌックマム、ライム香草ミックスのタレを付けて食べる。本当においしかった。あれもこれもお米で出来ていて、麺も、甘い物も…こんなにお米を使いこなし、日本の原点に近い気がした。
 このごろ、アジアの焼物について調べている。ハノイの街から近い所に、六〇〇年の昔から今に続いている陶器の村、『バチャン』へは是非行く。ホン河に沿い、水田の道をゆき、どこかしこ焼物一色の村に着く。
 白地に染付の大きな大きな植木鉢が積みあげられ、熱帯の大きな植木を植える大きな鉢はベトナム空港に着いてより、まず目を見張るベトナム風景だった。
 古くから伝わり続け、調べてきたのと同じ図案、唐草、トンボ、魚、竜…今も手描きされる器器。ずしりと重い素朴さがいい。
もちろん私の猪口を選んだ。

 
 

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