アルゼンチンつれづれ(267) 2001年02月号

マンハッタン

 ニューヨークの冬は本当に寒い。こんな寒い所に、どうしてこんなに大きな街が!といつも思う。
足腰に“ずしり”と重力を感じるほど速く 上がり下りするエレベーターに依存する、とてつもなく高いビル、そのビル丸ごと快適温度に設定され、極暑も零下も、Tシャツ程で過すわがままがまかり通る。
 朝、起きるなりパソコンに向っていた子供達が、それぞれ職場へ、大学へと出掛けて行ってしまうと、私一人のニューヨーク、「どこへ行こうか」。
 子供達の住いのあるビルの地下は、地下鉄の駅、ニューヨークのダウンタウン、アップタウンヘは自由自在、乗り換えればどこへでも行かれることになっているけれど、地下鉄を好まない、行き先は歩いてゆける範囲。 家から一丁程歩くと、タイムスクエア。新年を迎えるカウントダウンで、巨大電光式リンゴが落下するところ。
 劇場、映画館、ホテル、レストラン、ギフトショップなどが集中して、派手なネオンと劇場や映画館に入るのに並ぶ人、出てきた人、なんでもない人…。道を埋め尽くしての人出。
 わが家への行き帰りには直面せざるを得ない場所。
 そこに続いて、ニューヨークからのテレビのレポートで、日本でもなじみのロックフェラーセンター。摩天楼の谷間の大きなクリスマスツリーやスケート場。
 アルゼンチンと日本との往復をくり返していた頃、よちよち歩きほどの子供達を、ここで滑らせたことなどを思い出す。
 そのまますぐに超高級といわれる五番街。“ティファニーで朝食を”なんてもじって、私の毎日の散歩道。
 近代美術館(MOMA)、メトロポリタン美術館、アメリカ自然史博物館、その他大小美術館が近くにあり、一日に一つづつの美術館行も私の仕事と心得て。
 最近出来上ったプラネタリウムの建物の、昼のメカニック、夜の幻想、夢心地にスケッチしてしまう。
 スケッチといえば、セントラルパーク。木々越しに、冬木を透かし、聳え立つビル群。まったくのニューヨーク風景を、とは思いつも、手は悴じかんでしまって。
 家から、今までとは反対の方向のエンパイアステートビル、その姿をめざして歩いてゆく。行列をしてチケットを買い、地上四四三メートルヘも登る。マンハッタンの、とてつもないビル群のながめ。ビル群に、朝日、夕日、ビルの照明、雨が降る、雪が降る。ビルの上方は雲で隠されることも。
 本当に自分がここに居るのだろうか、本当の自分が見ているのだろうか…思ってしまう。
 歩いてゆくにはちょっと遠いけれど、チェルシーへ、画廊事情を見にゆく。
 展示されている芸術作品?とは、進んでいるというのか、そういうことには関係のないことなのか。戸惑う。戸惑う。
 大きさ的、物差的、芸術的、味的、人種的…、すべてのことが私の常識をはるかに離れるニューヨークではあるけれど、子供達が暮らすところ、今までの自分に凝り固まらないで、新しいことを受け入れる大きなスペースを作ろうと思う。このスペースを満してゆく欲ばり心がわいてくる。

 
 

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