アルゼンチンつれづれ(273) 2001年08月号

柳橋

 「雨が降っている」。「雨は柳に降るのが似合っているかな」。「花札の極まった図柄が好き」。「柳に降る雨を見にゆこう」。
 以前、隅田川にスケッチに行った時、柳の木が川に添って植っていて、きっと描きにこようと思っていたのは柳橋。
 柳橋といえば、その名も高く懐石料理の「亀清楼」がある。隅田川の舟の行き交いを眺めながら、江戸時代より続く「佳味珍味」をいただく。お相撲さん達が、隅田川の見える亀清楼の座敷で酒盛りをする浮世絵を見たことがあった。
 折角今まで続いているのだから経験しなくては勿体ない。
 友人と予約をして、雨の夜の柳橋へ。「川が見える部屋は空いていません」ということで、窓が一つもない部屋へ通されたのにはがっかり、それで、何物にも気を紛らわすことなく、一つ一つ運ばれてくる料理、器…に集中し、ひと時、江戸時代にいるのではないか、そんな気持になっていた。
 柳橋とは、「春の夜や女見返る柳橋」「賛沢な人の涼みや柳橋」と子規。
 三鷹市井之頭池を水源にして、都心を流れること二十五キロの神田川が隅田川と合流する所に架かる橋。欄干の灯が柳に届く。
 「柳橋から小舟で急がせ…」小唄を口遊んでしまう。そんな小舟は見当らないけれど、屋形船が沢山繋がれていて、川にせり出して建つ舟宿の様もきっと江戸時代のまま。「明日、絵を描きに来よう」
 そして次の日、柳橋の両袂の舟宿と佃煮屋と柳と続く長い絵を描いていると、声がした。
 「会社の窓から、絵を描いている人が見え、由利さんみたいだ」と駆け付けて下さった。
 旅行をしたり、バーベキューをしたり、何事もすぐ味酒に結びつく仲間のひとりだった。
 まさか、描きたかった所に会社があったなんて知らなかった。
 その会社の立派な応接間で、コーヒーを入れて下さって、暑かった外に比べ何と良い居心地。だいたいスケッチに行くのは苛酷な条件が伴なうのが常なのに…。
 また次の日も、同じ辺りの別の角度を描き、そして、私の範囲のようになった涼しい応接室に逃げ込んでコーヒーをいただき。極楽をみつけてしまった。
 柳橋通いをしているうちに、駒形屋から「うちはだし」への招きが来る。あらためて、夏なのだ、暑さへの仕度をしなくては、けじめをつけるのがいい。
 いつもの味酒仲間と出掛ける。鉄小鍋に並べられた“どじょう”にきざみ葱を山盛り載せ、山椒と七味唐辛子をたっぷり山ほどのせて炭火で。「どじょうなんて!」という友人が多いなか、このごろこの味が「おいしいなあ」と思う。
 帰りがけに、若緑の『どぜうの団扇』をいただく。毎年同じだけど、プラスチックなんかじゃない。竹で出来ていて頑丈なのが好き。この団扇で、すしご飯など冷ましたりしている間もなく、今度は、谷中鬼子母神の朝顔市。
 朝顔は朝だけ咲くのだから、何が何でも朝早く起きてゆく。楽しくもうれしくも、そして何とさわやかに美しい。団十郎の微妙な色もいい、昔ながらの青、赤、絞り…。朝顔だけが咲いている市。朝顔だけ、というのがたまらなくおもしろい。江戸の頑固がおもしろい。次は、浅草の「ほうずき市」。

 
 

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