アルゼンチンつれづれ(274) 2001年09月号

法科大学

 二つの大学を卒業するという、長い長い学生の時を、やっとやっと終えた玉由。
 法科というのは、やたらぶ厚く、重く、大きな本を、莫大量読み、覚え込まなければならないことらしい。
 私の子供の頭の中に、あんなに立派な本が何十冊分も入り込んでしまったのかと、私の期待に応えようとしてくれていることが、たまらなくいとおしい。
 何思うことも知らず、何出来ることもなく、ウカウカと生きてきてしまった自分を、せめて子供達には、私の“愚か”はくり返させたくはない。
 外国で生まれてしまった女の子が、経済力でも、思考的にも、一人の力で、世界で生きてゆかれるように育てる責任があると思った。
 “争い”が身近く感じられる外国にいて力はささやかであっても、それでも平和を心するように育って欲しかったし、伴侶とか、家とかを、要するにサポートをし続けるだけの一生をして欲しくはなかった。
 そんな私の望みのために、私に欠けていたことの思いつく限りを尽し、子供達を追いたててきた。
 子供達が小さかった時は、順調に、目的どうり、に進行していたけれど、そういつまでも単純に、親の言うなりになるわけはない。 「玉由は弁護士になって、世界の平和の何らかの役に…」、という。生まれた時から言っていたことも、ほとんど忘れてしまっていた。
 一つ目の大学を卒業したところで、「弁護士になるのだった」という思いが玉由によみがえった。
 あらためて弁護士をめざせば、三十歳近くになるまで学生でいなくてはならず、「その年齢まで親掛かりになるわけにはゆかない」 法科は、沢山の勉強を強いられるわけで、働きながら、ということもできない。
 学費の方は、ちゃっかり奨学金を、生活費は、妹由野の居候を決め、そして再び学生になった。そしていよいよ卒業をした。それから次なる難関は、国家試験。このテストのための勉強の大変さは門外漢にも聞こえてくる。
 ニューヨークと日本と離れて、何の役にたってあげられないことをすまなく思う。
 朝から晩まで授業がある弁護士試験予備校へ、テストまでの二ヶ月間を通う。
 その間の食事のこと、寝坊助の玉由を、毎朝起こし、遅刻をしないように、見届けたのは由野。
 食べ物の好みの激しい予備校生玉由に、「あれなら食べられるか」「これなら気に入るか」と、弁当を作ったのは由野。
 私は、電話で、「オレンジ百パーセントのジュースは、いつも冷蔵庫に入れておいて」「野菜不足にならないように」「玉子も必要」この程度のことを言うばかり。
 どういう訳か、外国生れなのに、納豆を毎日食べ続ける玉由。少し遠い日本食料品店まで、納豆調達に通い、葱をきざみ続けたのは由野。
 こんな二ヶ月が過ぎ、由野から電話があった。「今日は、会社からはやく帰ったの、明日、玉由のテストだから、家に居てあげた方がいいかと思って。明日のお弁当は、ゆかりのおむすびにしよう」。
 そして、テストは終った。十一月まで結果はわからない。

 
 

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