アルゼンチンつれづれ(277) 2001年12月号
隅田川橋めぐり
外国から日本に帰り住むにあたり、自身の日本語の語彙を増やしたかったし、日本の文化にもふれたかったから、小唄をはじめた。 そして、すぐ唄ったのが、『柳橋から 小舟で急がせ山谷堀 土手の夜風がぞっと身に染む衣紋坂 君を思えば逢わぬ昔がましぞかしどうして今日は御座んしたそういう初音を聞きに来た』訳がわかるような、わからないような、今まで親しんできた言葉や内容とは掛け離れていすぎるような…。
それはさて置き、地形的に、柳橋から、小舟を急がせ、どこへ行くか。山谷堀へゆく。山谷堀川の土手の夜風が…というわけで。
その柳橋の名のもつ内容は今では変わり、山谷堀川は埋めたてられてきて、隅田川に出合う最後の橋が今戸橋。大正年代に出来、今回は、そのレトロな今戸橋を描こうと算段をした。
吾妻橋から、一番新しい桜橋に向け、隅田川の堤を歩いてゆくと、もう大変。ホームレスの人達が、青いビニールシートと段ボールで各々の居場所を作り、生活をしている様子が並ぶ。
歩いて良いものやら悪いものやら…。それでもここでやめる訳にはゆかないから、勇気をだし、この辺りに今戸橋があるはず、とうろうろ探しても『橋』は無くなっており、大きな工事現場にクレーンが動いていた。
「しまった。遅かった」。今戸橋は跡形もなかった。
仕方がないから、桜橋の上から、今戸橋があったであろう辺り、隅田川の堤の凹をスケッチした。
桜橋の上から、隅田川の上流を眺めると、白髪橋が見える。その風景は、川を吹き抜ける強風の中、“暑いのではないか”と案じた日に、ふるえる寒さで描いた。
川の強風をよけ堤に降り、東京湾へ続く方向の、言問橋の橋桁から、東武鉄道の橋、吾妻橋、駒形橋がずっと見渡せて、一枚の絵に四つの橋が描き込めた。
隅田川の橋めぐりも、この辺りはやはり、永井荷風を思い、墨東奇譚の挿絵を描いた木村荘八を思い、鏑木清方、伊東深水、竹久夢二。そして、のらくろ漫画の田河水泡、ユニークな滝田ゆう、…。
風景も移り、表現方法も各々異なりはするけれど、この辺りに題材を求めた人達との同じ気持、を思う。
隅田川が夕焼けると、寒さ、暑さ、人目、肩こり、空腹、ストレスを解消しなくてはいけない。
この辺りは、そのまま浅草、選り取り見取り、私は、アサヒビールのビールジョッキの形をしたビルの一番上の泡にあたる階にある、「ラ・ラナリータ」というイタリアレストランで隅田川の流れと共に今描いていた所を見下ろしながら、イタリアワインとオソブコ(牛の骨髄)をいただくのが楽しみなのだが、今は狂牛病とかでやめる。もう散々食べてしまった一番危険を思う。
そこでこの日は吾妻橋を渡り、日本津々浦々の貝が食べられる「海作」へゆく。
ひとわたり貝の刺身をいただき、かきは、やはりフライを頼み、あとは貝鍋。お酒は「奈良の春鹿」を選んだ。
好きな絵を一日描いていて、好きなお酒とまったく好きな味と友人達と。
隅田川っぷち通いは、すべての角度からありがたい。もうやめられはしない。
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