アルゼンチンつれづれ(282) 2002年05月号

比叡山延暦寺

 日が短かく寒い時期は、一目散に家へ帰りたく、何かと家に籠る口実を考えだしていたけれど「日が長くなった」と実感すると、「出掛けてみようか」「どこへ行こうか」という気持になる。
 大阪に用事があったから、これを機会に長い間思い続けていた「比叡山延暦寺」を一寸なりとも訪ねよう。
 比叡山に行くのには、歴史はもちろん、万葉集も、子供達の祖「日蓮上人」「貫名海屋」についても「心して」と思っていた。「まだ行く資格なんかないんだ」と思っていた。 だのに、闇雲に行くつもりになってしまった。
 京都の街の中にある神社、仏閣とは違い、山を、比叡山に登るという大事を、どのように対処したものか、調べてないうえに時間もあまりないという状況。
 修業の場である比叡山に、タクシーでゆくなどとは、以ての外だと心得ていたけれど。 比叡山ドライブウェイに入ると、まだ冬の色調の木々、おだやかな山並み。片方は、大きな琵琶湖が大きく大きく広がる。
 近江朝。壬申の乱。大海人皇子。天智天皇。大友皇子。今見ている見渡しの中に、壮大なドラマがあったことを。この日、ささ波もたたない、おだやかな春の琵琶湖であるが。 途中、比叡平には、アルゼンチンで知り合った友人がいて、以前一度訪ねたことがある。
 日本から一番遠いアルゼンチンヘ行って、そこで生きる、という共通の経験をし、同じ価値観を持った友のいる所だから、私の比叡山に対するあこがれが高くなっている。
 その比叡平も素通りし、頂上に到る。頂上からの一方向、学生時代授業として滞在した大原が見渡せた。三千院や寂光院での授業が思いおこされる。
 琵琶湖は、もっともっと大きくなっていた。
 そしてやっと、自分の足で延暦寺認識をはじめる。
 桜咲く街中と違い、まだ冬木のままの木々のなか、馬酔木の花だけが白。石楠花のかたい蕾もまだ冬。
 登り、下り。階段。根本中堂。足元から伝わってくる冷気は大変なもの、開宗以来の千二百年の「不滅の法灯」。金縛り的に荘厳な気持になる。自らの前後左右、すべてのことから離れ、ただひたすら「燃える物」だけが見える。
 一瞬たりとも“無”になりたい。人間最大の切実重要課題へ、いともすみやかに入ってゆける御膳立てが整っている。
 無の目を天井に向けると、格天井の天井板に、黒格縁にふちどられた百花図が、ここにこの華やかさをもってくる感覚に驚き。
 文殊楼に登ろうとする。今まで経験したことのない急な階段の意味は、自身でよじ登ってみてわかったような気がした。文殊菩薩におめにかかれた。
 蓮如上人が修業をされた蓮如堂へ。ありとあらゆる食物にかこまれ、食べ過ぎ、飲み過ぎ、を繰り返している私の前に、ひたすらの貧。どうして良いのかわからないような、身の置きどころが無いような。
 星峰稲荷。大講堂。戒壇院。潅頂堂。東塔。阿弥陀堂。
 私が歩いているのと同じ所を、異なる次元の日蓮上人が歩かれ、その後を貫名海屋が。外国で生まれてしまった私の子供達に、ルーツをしっかり伝へなければ。比叡山に来られ、これから比叡山延暦寺について、はじめられる。

 
 

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