アルゼンチンつれづれ(281) 2002年04月号

蓮の歌

 蓮根。春から夏に伸びる地下茎は、節間鍛長く、節に葉柄を花柄を立てる。ひと夏を栄え、秋。花柄、葉柄が枯れはじめると、地下茎の三節ばかりに養分を蓄え次の年に備える。ここを蓮根と食用にする。
 ストローのように、酒を薬と吸う葉柄には蓮根に通じる穴が約十個、どの部分を切っても、金太郎飴のように続いていて、泥中とり入れ難い酸素を供給する大きな葉に通じる。蓮根の穴は“先が見通せる”との縁起でお節料理に欠かせない。
 昔、身体の弱い殿様のため、栄養価の高い蓮根のその穴に、味噌と和辛子とのブレンドを詰め、揚げ、熊本の郷土料理辛子蓮根は、現在に続き広く好まれている。私も「何と上手においしくしたことか」と機会あるごといただいている。
蓮の穴に、餅米を詰めて蒸す蓮根餅は祝事などによく作られた。
 大和本草によると、蓮根を搗き砕き、陰干しし、餅団子に蓮粉に。
私は、蓮根をすりおろし、ほんの少量の粉を加え、軽く撮み、素揚げしたものを作る。もちっとおいしい。
この頃、笹の葉に包んだ蓮粉の葛のような半透明菓子をみつけた。花も蕊も、葉も根も、それぞれに食用、薬用、糸としても曼茶羅が残り、蓮の葉の繊維の織物は、蓮糸だけで弱いゆえ、縦糸に絹を使い、さまざまの用に。
僧叡の妙法蓮華経後序「諾華の中に蓮華は最勝なり」を実感する。
私、五、六歳の頃、入覚寺の稚児になったことがある。その時、造花だったけれど、長い茎の蓮の花を持った。その時の厳かにもうれしかった思いは今に至っている。こんなに麗しい蓮の存在に、もっともっと寄り添っていなくてはもったいないと思う。
 土屋文明歌集からの蓮の歌。
○蓮の花見むと来たりて思ひいでぬ此所にをみなの友住むことを
○青みどろ紅の花にせまる如く崩れし花のしづみあへなく
○夕かげに茂れる蓮を掘り立てて香しき葉を抱へ出しぬ
○紅はうすき光の中ににほひ夕べの蓮くづほれむとす
○くれなゐの蓮の花のふくだみてしどろになりつ清きかがやき
○白き花くれなゐの花池を分ちい照りかがよふ曇り日の下
○夕かげの尾張の田居の蓮花この寺の夜に思ひ寝ねつも
○かがやける朝の蓮をかこみ立てり早くめざめて起きたる友等
○蓮の葉の広らに水瓜大きければ先生が好て置けるごとく思ふ
○閉ざしたる蓮に夕日つよくして尖りし紅数かぎりなしかえふ
○塔白く寺廃れ蓮華たなびけり虚空にまがふかえふ荷葉のかがやき
○蓮葉の夕べ緑青にしづめるも濁れる水を覆ひつくさず
○簾たれて西日ふせげる画紡の中人ただ臭く蓮ただ紅し
○蓮池は直ちに瑞雲に通へども来迎を描かずくわゐ慈姑のもろき花を写す
○蓮の花いまだふふめる持つ尊者ゆたかなる笑は人間にありつかゐんず
○蓮の葉の秋の葉とりて束(つか)ぬれば蓮の葉にほゐんずふ院子のうちに

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。