アルゼンチンつれづれ(280) 2002年03月号
蓮の糸
花が咲いている時はもちろん、冬枯れ水に沈んでいる時も、蓮を思い続けている。
日本での蓮の記録は、洪積世の地層の化石であり、二〇〇〇年も前の泥炭層からの種子。
慈覚大師が唐から大和の当麻寺に伝え、蓮の糸の曼茶羅が残ること。古事記をはじめ日本書紀、続日本紀、延喜式、万葉集…に蓮の記述が残る。二〇〇〇年蓮は、大賀博士により発芽し、現在に咲き繋ぐ。生命力の象徴として。
蓮のまだ蕾のうちの蕊を採取し「心の安まるお茶」と、ベトナムの友人にいただいたことがある。心安らかに大切に飲んだのでした。
夏の日の三日ばかりを咲いて散る蓮華、知る限りの仏様、仏像は蓮華の台座に乗っておられる。蓮華は、仏教始まって以来、もっと昔から人間の心の象徴として、そんな原点の心に私も連なっている思いを新たにする。
一番大きい蓮華台座は、奈良の大仏様が座しておられる。大仏殿の暗さと遠さでは見えないけれど、機会があり、その大きな蓮弁を見たことがある。その時代の風物が線描きされていたのには心を奪われた。蓮という存在の大きさを思った。
時に、仏様が一茎に数華ついている蓮を持っておられる。こんな蓮はないのに、と思い続けていたけれど、このごろそれは十二蓮、天竹蓮という種類の蓮であることを知った。これで安心して仏様とま向えることになった。
古代エジプトで蓮は「光と生」の神だった。ペルシャでは、太陽の化身であり、「光の衣と蓮の王冠」の姿に描いている。
沖縄へ行った時、沖縄の踊りには蓮の花の笠を王冠のようにかぶっていた。
蓮の花が散ると、金に輝やく台が見える。蜂の巣に似るからはちすといわれ、台が育ち中にある実も育つ。
不忍池を遊び場として育った友が、はちすから、まだ青い実を取り出して食べたという話をしてくれた。文献にも『まだ熟せざるを生にて食ふ、黒く熟せしも食す。脾胃を補ひ、心を清くし、中を補ひ、志を強くし、虚を補ひ損を盆す』とある。
中国や台湾、ベトナムで蓮の実ご飯を食べた。蓮の今咲いている花が茶碗、葉がお皿の神々しくも美しい食事だった。
ベトナムの市場では、蓮の台から実を取り出しながら売っていた。客を迎える部屋には蓮の花が飾られていた。
蓮の葉が露を宿すと、『古今和歌集』
はちすばのにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく僧正遍昭
『新選六帖』
すましかね心の水はにごるともむねのはちすはひらけざらめや 家長
世にこゆるねがひはむねの蓮にてたのむよりこそ又むかふらめ 為家
『万葉集』
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし
(巻十六・三八二六)
他に三首。
当時は、蓮の葉は食物を盛るのに用いられ、蓮の葉が一番良いとある。蓮の幼葉をきざんでご飯に炊き込み“はすめし”と、香気有り美味であったと。
葉は正中より茎に孔を明け、酒をつぎ、其茎の元より吸ふを薬であると。
蓮の話はまだ続くのだけれど、蓮の花が葬式の花である記述はない。つづく
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