アルゼンチンつれづれ(285) 2002年08月号

アティア・フセイン

 名はアティア。姓はフセイン。
両親が外交官として東京に滞在した時、「ほとんど日本生れになるところだった」というアティアと、由野とは、スイスのレマン湖のほとりのインターナショナル・スクールで出遇った。
 私、すなわち母親から独立するため、フランス語を身につけるため、大きな大きな大義名分と、ぎっしり詰まった二つのスーツケースを携え、たった一人でスイスの高校へと出掛けてゆく由野を、その当時住んでいたロサンゼルスの空港で見送った。
 そのすぐ後、由野は生涯の友、アティアと出遇ったことになる。
 アティアの両親は、当時スイスに住んでおられ、由野に心遣いいただいたこと、家庭のインド料理を御馳走して下さったこと。
 由野からの定期便の電話報告に、ずっとずっとアティアの存在はあった。
 一人遠くに行った由野に、アティア一家の存在は、私の大きな安心だった。
 そして後、アティアはニューヨークに居て世界のロイター通信の記者。新聞等、記事の最後に「ロイター」と書いてあると、「アティアの書いた記事かな」と、必ず読むことにしている。
 由野もまたニューヨークに行き、CNNのコンピューター・エンジニアに。テレビ等、CNNを見る度に、働いている由野を思う。 遠くに居ても、とても身近に、いつも彼女等と気忙しく付き合っているつもりになっていた。だのに、まだアティアに会ったことがなかったことに気付いた。そしてこのたび、「日曜日から日曜日までを、二人で日本へ行くよ」、電話連絡があるやいなや、二人は我家にやってきた。
外国のお客様といっても、何を買いととのえるということもなく、日本間をアティアにアトリエの小さくなってしまっているスペースに由野。普段のまま、私流にいてもらうことにする。
世界最先端の仕事をしているとは、アメリカ的な大雑把や、多少なりとも高慢を思ったけれど、とんでもなかった。
 厳しい仕事をすることから、彼女達が身につけたのは、控えめで、奥床しく、そしてやさしさ。いじらしくも感動的に出合えた。
 ウェルカムディナーは、私のいつもの酒の肴類と、日本の草々の芽、茸類の天プラ風。はじめて食べたにちがいない物が多かったのに、安心して何もかも食べてくれた。特に舞茸には舞いあがってよろこんでくれた。
 次の朝、時差にぼけ四時には起きてしまい、早くから行ける所は築地魚市場、鮪がゴロゴロ足元にころがるのを見にゆく。この季節、日本で食べられている食材の説明に忙しい。まず日本の食の基本を見聞し、歩き疲れて早朝とはいえ鮨屋がある。さすが魚市場の中、ニューヨークで食べるのよりおいしいことを口々に言い、動いているアワビまで食べてしまった。
 京都御所と桂離宮は、拝観許可を得るのが大変、と思っていたのに、さすがジャーナリスト、たちまち私の分まで手に入れた。
 清水寺、金閣寺、竜安寺…。妙法院の三十三間堂の千一体の千手観音。
 アティアの国から、距離と時とを経て日本に伝った仏様の前に、アティアと由野と私と何も言わなくてもわかりあえる、同じ心になっていた。

 
 

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