アルゼンチンつれづれ(22) 1980年08月号

育ちゆく

 世界を動き廻り一年の内四分の一程度しか家族と一緒に過せない子供達の父親。私達女子供三人のみの極小単位の日本語通用の範囲。一歩家の外へ出ればスペイン語。来客もスペイン語の人達。学校、英語、体操等、皆スペイン語で習います。私は子供向きに出来ていない性格らしく赤ちゃん言葉は使えず、子供達は生まれた時から対等唯一の私の話相手でした。こんな生活の中で九歳になったばかりの長女玉由の此の頃の言葉の端々。
 宗教が重んじられ、キリスト教が中心のアルゼンチンで、学校の友達がそろって洗礼を受ける時、日本人である玉由の家系を説明した後、アルゼンチンで生まれ、ここの友達、習慣で育っている彼女自身に宗教を選ばせました。ひょっとしたら親子で宗教が違ってしまうかもしれない重大な時、「生まれた時から玉由についていて下さる神様を変えるなんて、そんなこと出来ないよ」と結論を出してくれました。小さな女の子が、花嫁衣装と同じに憧れる洗礼の白いドレスに負けることなく。住んで直面しないと気付かない大きな階段を上手に一つ登ることが出来ました。
 十三年スペイン語の中に暮らし、今だに理解出来ないことがいっぱいある私に、「お母さんも玉由も同じ日本人の顔をしているのにお母さんはどうしてスペイン語が下手なの」 アイススケートをさせたい為に、カナダヘ引越そうと考えている私に「スペイン語が上手に話せないのに、その上また上手に話せない違う言葉の国へ行くつもりなの?」よく理解出来ないのを良い事にして、自分に興味のあること以外は馬耳東風で暮す癖がつきすぎたかもしれない。
 どうしてもスペイン語が楽になってゆく子供達に、日本語に興味を持たせようと私の方もあの手この手です。日本から送ったシートンの動物記、ファーブルの昆虫記にはのりだしてきました。私の子供達は根拠のない誇大な妄想を好みません。「シートンさんの本はとても気に入ったよ、一つも嘘のことを言ってないと思う」ダアウィンさんの話をした後、「人間が昔のことを忘れてしまわないように今でも猿が昔の人間を代表していてくれるんだ。」「人間の頭というのは毎日毎日利口になるんだね。今日学校で習ったことは、きのうは知らなかったことだもの」「他人は自分の思いどうりにはしてくれないから人をたよりにするのはやめよう、人間ってみんな違うんだね」
私に運んでくる見出しの大きな新聞に憂いて「アルゼンチン人はアルゼンチンに住んで、日本人は日本に住んでいていいけれど、地球は一つの国と思えば戦争なんてしなくてもいいのに」日本から一番遠い国に住んで、子供を育てていて戦争への恐怖を常に持っている私を受けているのでしょう。歩き始めた頃の玉由に、戦争で水が飲めない人がいる事を話した時、彼女の小さな水筒と玩具のバケツに水を満して「水をあげにゆく」、といいました。その時も今も、苦しみ死んでゆく人達に一滴の水をあげられる実力も私にはありません。
 「お母さんが怒って玉由を蹴飛ばす時、玉由だって頭にきて叩きたくなるけど、これが玉由の大切なお母さんだと思うと、思いとどまるんだよ」という玉由に甘え、「お母さんは日本で生まれたから日本が良いのだけれど、玉由はアルゼンチンで生まれたのだからここが好き、だから何処へもいかない」に途まどい、平穏無事だった今までの家系に確実に新しい人間が育ってきています。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。