アルゼンチンつれづれ(58) 1983年08月号

アルゼンチンの国花

 「まだ冬、セィポの枝先が歩道に落ちて、その色、カーブの工合が毎年のようで。」うつむき加減に枝々を踏んで通り過ぎて「あっ!」と驚いた。私は新橋の駅の辺りにいるのに、「どうしてアルゼンチンを歩いている気持になっていたのだろう。」どうしてセィボの枝先が落ちていたのだろう。」急いで引き返してみると、「アルゼンチンにいる」と錯覚した木が二本冬枯れている。仮住いの身の上で、図鑑も持たず「そうに違いない。」とは思っても、春になって葉が出てみないと確かなことは解らない。パレルモ公園では、いつもセイボの辺りをうろうろ。落花を拾い、スケッチして種の季節には爽も、弾けたのも宝と拾い集め冬にはバサッと落ちる枝先を踏んでのジョギング。私と子供の生活に入り込んでいた木だもの見紛うはずはないのだけれど、日本にもその木が生えているのかしらとの疑問があって。水辺が好きな木なのに、まるで場違いな所に生えているその木の様子を見るだけのために、何度も山の手線に乗って新橋まで行きましたっけ。
 やっと葉が出てきました。固い蕾にも出逢えました。やっぱりそうです。セイボです。 人生の、一番いろいろな出来事に直面して吸収し大人となってゆくはずの時期を、十六年間も日本を留守にして、一人野生のごとく、その上あまりにも限りあった日本語の中で過してしまった私は、そのタイムマシンに乗っていた間の、日本に対する空白に唖然とするのです。
 そこで今、とにかく外へ出ることを自分に義務づけて郷土資料事典なる本と地図に教えられて、何処へ行くのにも便利な品川駅より私の目に、心に写る物が少しでも多かれと歌となりゆく言葉集めです。
 幾人もの既製概念を持った人の目を経てきて写しだされるテレビ、新聞から抜け出すと私自身の視野が広がっているのが新鮮でした。
 世界中より集められた木々は皆名札を付けて、植物図鑑の中を歩いているような東京大学理学部附属植物園に行った時、気が付くとメタセコイアの林の中に立っていました。世に稀な木の、それも林があるなんて、歩いていたから大変なものに出逢えました。その木々を見上げた時、自分が何百万年も溯ってしまったような厳かな気持になりました。
 我にかえって少しゆくと、アルゼンチンで“カタルパ”と教わった立派な木の花が満開、まわりの空気を華やかにして“ハナキササゲ”と名札にありました。アルゼンチンの私のベランダで育てていたのは“はなまき”です。日本名は何というのかしらとモンモンとした長い年月、高輸の家からちょっと抜け出した午前中の内にスラスラ解決してゆくのです。
 「一本あれば幾人もの人が飢を知らないという木、お腹が空けぱその実を一つ頂いて常夏常緑の木の下で、海や雲を眺めて老後を過したい。」と怠け者の私が憧れてやまない“パンの木”を見たく一般公開していない温室のガラス越しに中を窺いつつ歩いている行手を邪魔した木がありました。セイボです。『アメリカデイコ、南アミリカ原産、マメ科』と名札がついて。やっとやっとアルゼンチンの国花の日本名を知り当てました。パンの木は見つけられませんでしたけれど。今は、枝先まで咲き登ってきているセイボの真っ盛り。雨が降れば濡れるその色を、風が吹けば揺れる重量感を。しばしば通って拾った赤を、家中の水の入る器を総動員して浮べて遊ぶ。

 
 

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