アルゼンチンつれづれ(59) 1983年09月号
日本に住むということ
神戸のポートピアで開かれていた全日本ジュニアフィギュアスケート選手権大会に参加している長女を追って、一人新幹線に乗っていた時、近くに坐る人達が、甲子園での春の選抜高校野球を話題にしているのが聞えていました。神戸という所へは初めてゆくのだし生まれてこのかた高校野球というものに興味を持ったこともなかったのだけれど、有名な球場が、私の行こうとしている所の近くに有ることを知り、「一時間ばかりのぞいてみようか」という気持になった。
新神戸駅を、キョロキョロ見回して、そこの空気を吸う人となり、タクシーにて「甲子園の外野側へ行って!」何校という目標はなくとも、私の子供達と同じように足腰を鍛え一日をも休みとしない訓練の必要なスポーツに携わる若者達を感じたい。
外野の一番深く、ほとんど旗がはためく辺りに坐って浜風を受けながら、あまりにも視界が大きかったこと、「まず本物を見ないことには始まらない」とここで私が変った。今までの「やめておこう」というのが「行ってみよう」となり、「私が留守にしていた間に日本にはいったい何が起っていたのだろうか」という、その空白を埋めてゆくおもしろさにとりつかれてしまったのです。
同じスポーツとはいえ、あんな大きな球場を満たしてしまう程の人々を集めて騒ぎの中でとりおこなわれるものもあれば、参加している選手の親?ばかりが見守る静のフィギュアスケートのような試合もあるし。それからの日々は、スピードスケート、陸上競技、体操、サッカー、テニス、プロ野球をも、夜の試含も昼も室の内外を問わず、目につくものには、のこのこと出かけて行って、人間の動き、設備や観客を見、時には興奮して大声で応援してしまう。
スポーツのみならず、世界中から呼び寄せられて、東京で繰り広げられる数々諸々の催し物。見慣れたようなフランスの名画。布を織ったり染めたりの学生時代だったから親しみの持てるインドの布展。その国の僧達によって、お経が唱えられるなかで、同じアジアの人間という思いを強くしながら見たチベットの曼陀羅。以前こんなのでご飯を食べたような気がする韓国の古美術。海底から引き揚げられ、世界に先がけての公開といわれる陶磁器類。楽師も祈祷師も本物であり、煮しめたような青銅の楽器が捻(うな)り、椰子油の炎が東京の夜の風にゆらめき、水牛の皮の透かし彫りの影が、果てしなく続いてゆく、良い心と悪い心を演じるバリ島の影絵芝居。アマゾン深くより、多分人間など喰わなかっただろうに、人喰い大ナマズと名札を付けられて、夏休みの親子連れの行列の喰いつかんばかりの視線にさらされて精気がない大アマゾン展。生きた魚も、冷凍のシーラカンスも、石と化した生物の化石展。日本には住まないキーウィ鳥、世界一大きな翼を広げたあほう鳥と鳥の世界展。自分でそれぞれの国へ出かけて行ったって、やたらに見られる物ではないのだからと、汗を流しながら見て歩いた。ハカランダ、パパイヤ、コーヒーもこの国の自然では育ち実ることはないでしょうに、鉢植えとなって植木屋に並び、世界の料理がまちがった発音で呼ばれて、日本以外の何国風でもない日本の人々がそれを食う。
あまりにも忙しく、こんがらがってしまって、疲れ果てて、これが日本に住むということですね。それで私、利巧になれたかな!
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