アルゼンチンつれづれ(66) 1984年04月号

植村直己

 暗い暗い空から、私の窓に真横に降ってゆく雪。人々は、各々の家へ早目に引上げて、ひっそりしている町。風を伴った淋しい夜。雪に慣れていない東京の電車が遅れる。止る。大雪警報。困惑の心に、悲槍感をあおるテレビでのニュース。小さな家の東側の窓を覗いては溜息。西側の窓へとウロウロ。どんどん厚みを増してゆく白。
 「家の中を歩きまわっていても何の足しにもならないよ、連絡があるまであきらめて待っていなさい」と玉由に諭されながらも、そんな訳にもゆかない気持を大きく持って。
 「雪くらいで休んではいけない」と体操教室へ送り出した由野がまだ家へもどらない。連絡がない。……
 「お母さん!道がすべるから外に出ちゃいけないよ。一人で帰れるからね」やっとやっと近くの駅から電話があり、涙が出てしまいそうになって出迎える私に、「雪って意外に重いんだ、傘に積っちゃって」と新しい白い経験にうきうきしていた由野。
 「長い行列で電話はかけられなかったの、止まってしまった電車の中で、しょうがないから寝てたんだ、暖かくてよく眠れたよ」
 かくして一件は落着したものの二件目三件目……と。何回重ねても待つことが上手にならない私。変らずオロオロし続けた冬が終ってゆかなければいけない時期なのに、まだひときわ猛烈な冬が残っていた。
 マッキンリーで植村直已氏消息不明のニュース。テレビの画面で見た、冬であり、その上高過ぎる山。神々しく“人間”という隙のまったくない所へ、並はずれてすぐれている人とはいえ、人間であることに間違いのない人が、一人で出かけて行ってしまったなんて、背筋が冷える。
 アルゼンチンで初めておめにかかった時の植村さん“目がキラキラして、なんて生き生きしている人”と思いました。
 地平線まで続くセリーナの牧場の、充分に野生っぽい馬に、初めて馬に乗るという植村さんが挑戦。馬のあつかいも習わず、とにかく乗って走って行ってしまった。“きっと落されるよ”乗っている本人の行きたい所ではなく、馬の行きたい所に行ってしまうのでしょう”などの評をよそに、点となり、見えなくなってしまってしばらく。“そろそろ捜索”という頃、ニコニコ真白い歯を見せ、前髪をかきあげながら、ちょっとテレて、ガウチョのごとく現われた。
 私は、ずっと後に初めて馬に乗るという経験をして、かなりおっかないことだと知り、その上何ヵ月もかけ、馬が私を乗せて走るということを習ったのでした。私の物差で彼の凄さを知りました。
 「ニンニクとムール貝の料理、濃厚なトマト味のソースで煮たデンデン虫」私達家族も今、東京でその昧を探すイタリア風料理を、植村さんの訪亜の度に連れだって食べにゆきました。デンデン虫の殻に残った一番おいしい汁を、チュッと吸っていた彼。
 「ナオミが南極へ行きたいのなら」と彼女の力の及ぶ限り奔走したセリーナ。
 「植村さんのように」とアルゼンチンの体操で、彼女の年齢のチャンピオンになれたことを、植村さんに報告出来た由野。
 植村さん捜索のニュースをじっと分析し、「今まで溜めた玉由のお金で、一回飛行機が飛ばせるから、山のあちこちに食料を落して頂戴」と頼む玉由。
 世界中の、植村さんを愛してやまない人々の心をかきむしって、彼はまだ現われない。

 
 

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