アルゼンチンつれづれ(68) 1984年06月号
お友達がいっぱい
由野「今、体操終ったけど、お友達を連れてお家に帰ってもいい?」
私「何人で来るの?」
玉由「家で友達とクッキー作りたいの」
私「どうぞ!」
友達「おばさま、今夜両親が留守で一人になっちゃうので泊めて下さい」
私「おいで!」
玉由「明日の早朝トレーニングに一緒に出る友達、玉由の家に泊ってもいい?」
私「いいよ」
玉由「一人じゃ遊べないんだ、友達連れて行くからね」
私「お好きなように」
由野「お友達がね、お母さんの焼いたアルゼンチン風の肉好きなんだって、だから連れていくね」
私「作ってあげるよ」
かくして電話が鳴る度に、知るも知らぬも子供達が押し寄せてきて、どれが自分の子供とも区別もしていられないから、一歩我家へ入ってくれぱ、私の気に入らなければ叱り、ちゃんと片付ければ誉め。飛行機に乗っても電軍でも、なるべく子供が居ない所を選びたい程の冷血な私が、なんでまあこうも子供漬けにならなければならないか。
急に「どこかの国へ引越そうかな」と思いつきかねない私は、なるべく持物を増したくないのだけど、「四季折々の身にまとう物」「山小屋みたいで何もない生活です」とはいっても来客の度にお皿も必要となり、冬の食物らしい器。春、夏ともなってくればそれにふさわしく。「あまり無味乾燥では子供の情操によろしくない」との口実もあり増え続ける物質にスペースを奪われ「人様をお泊めするような状態ではないのに」を強調しつつも、「蒲団を横にして寝ちゃうから」「枕は縫いぐるみ」と家中蒲団だらけ。子供だらけ。 その子供達が「お腹すいた!」と冷凍庫、冷蔵庫からかき集めて何とかおとなしく寝てもらい「明朝は何を食べさせようか」と途方にくれ。私などもう空気が足らない気がして息苦しい夜を過す。
せっかく日本に居るのだから日本の子供達とも沢山接しておかなければという私の「やさしさ」「外国生活での合理性」「子供相手の腕相撲でも必死に勝抜こうとする幼児性」が受けるのか、私の子供?が増え続ける。
「お世話になりました。ありがとうございました」と電話を切るに切れない程丁寧なあいさつをして下さる親御さん。
「あの子、親はいるの?」と何度も泊って、その都度食べさせ続けても「梨の礫」の親を持つ子供。
すぐ物でもって代償しょうとする親。
連休中、三日間も我家に泊り込んだ子がいました。親の許しを得ているということだったので初めは安心していたのに、
私「自分の子供がそんなに長い間家へ帰らないのは好きじゃないから、もう帰りなさい」友達「お家へ帰るのいやなの、勉強しなさいって、そればかり言われるんだもの」ミニ家出です。「さて困った」私だって「勉強しなさい」って言われ続けたらいやになる。「動きざかり吸収ざかりの子供を部屋にとじ込め教科書漬けにしておくなんてかわいそうすぎる。身体に心に悪過ぎる」とは思うけれど。私「だけど日本の子供は日本から食み出す訳にはゆかないのだから」
なかなか御神輿をあげたくないその子を無理やり送り出しました。
日本を知りながら日本に居ます。
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