アルゼンチンつれづれ(98) 1986年12月号

スケート留学

 コンテナーに詰め、船に乗せ、ロスアンゼルスまで行く品々……ガラクタといえども現在の我家のすべてが、飛行機で行く私達が着くのと同時に今度の住いとなる家で出蓬うために、大あわて、あたふたと出て行ってしまうと、筋肉痛の私と幾所かはまだ電気がつき、電話器と…が残りました。狭い狭いと悩んだ程のスペースだった部屋が、ガランと広々。二年契約で借りた、その二年目の日までまだ幾日か残る日々、荷物が出た日からホテル住いのつもりが、御苑の木々が覆うごとく「都心のこんな良い所放っとくのもったいない」近所の友人が「蒲団貸すから、居られるだけここに居なさい」といってくれることで、明治通りを渡って蒲団を担ぎ込みました。この豊かな品々の日本で、人々と同じような物が無ければ生活出来ないとばかりに膨らんでしまって、コンテナーいっぱいにしてしまったことを反省。ちょっと欠けているから持っていかない茶碗と皿、もう寿命のきた鍋が一つ…これ程の最低限で生活出来たのに。
 家はスキップしたい程広く見えるし、何しろ生活が単純でいい。
 今までこうやって何回かガランドーの家になって、初心、無物で自分の生き方を考えたなあ……改めてまた思う。アルゼンチンに初めて着いた時は、何といっても私に起った一番でかい出来事で、今回みたいなゆとりなど思ってもみられなかった。顳に力が入って止めることが出来ない身震いがずっとずっと。 捨て猫や捨犬が小さくって、雨にぬれ、震えているのを見ると「私のあの時と同じ」と思う。「私だって、何とか生きてきたんだから、何とか生きなさい。何とか自分で出来なかったらどこどこまでも落ちてゆくしかないんだもの」。
 旅仕度のスーツケースを開けては、その都度の洋服を取り出す生活へ、玉由がスケートの試合の為、アメリカから帰ってきました。 「あれ!玉由なの!」という程、外見も背丈も変身して。
 玉由「びっくりさせようと思ってさ」彼女が決めたヘアースタイル、彼女が自分で選んだ洋服、私の趣昧とはちょっと違っているところが新鮮、若々しく、可愛らしいそして何ったってアメリカっぽい。私から何歩も離れていった感じ、安心というか、自分の年を感じるなあ……。
 そして肝心のスケートの方も、私が付いていなければ何も出来ないはずの子が、四ヶ月間、たった一人で、先生を探し…。その先生の名を聞いてびっくり、世界的な大コーチ、よくまあ、我子に、こんな偉大なコーチが……。日本の私の元にいたのでは決して身につけられなかったものをいっぱい持って。
 玉由「別に、先生が『ああしなさい、こうしなさい』っておっしゃる訳じゃない雰囲気よ、自分でそうしなければと思ったから」
 一人にしたから、やっと自分の頭で自分のことが考えられたのだと思う。
 玉由「物心ついた時からさせられてたって感じのバレーとスケートの動きが、今やっと一致したわけよ」「考えてみると四ヶ月間一度もぐっすり眠らなかった、どんな音だってすぐ目が覚めたし、三時半に起きてリンクヘ行く時だって、目覚しが鳴る前に起きたから」「お母さんに逢いたくて二日間ずっと泣いてたことあった」
 しっかりしたはずの玉由が、現在、靴のぬぎ方、やりっぱなし、朝起こしてもちっとも起きない……一生懸命私にしかられることを作っているかのようです。

 
 

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