アルゼンチンつれづれ(102) 1987年04月号

ちょっと仕事を

 冬の日本で、引越し荷造りをしたから、一番奥深く入り込んでしまった夏の品々。あまり寒くないとはいえ、一応冬服のカリフォルニアで生活をし始めて、まだ出る幕のない夏の洋服を取り出だす。
 「ペチャンコになってしまって、アイロンをかけなくちゃ」「ブエノスアイレスの二月は、一番暑い最中」「パーティー用も要るし」「サンパウロの夜は涼しくなるからちょっと羽織る物も」………一週間の予定で、サンパウロとブエノスアイレスの事務所に滞っている書類にサインをしに行かなければなりません。もうギリギリの日日(ひにち)まで延ばしてしまったから。
 車に乗せて運ばないことには学校すらままならない子供達の生活に追われ、にっちもさっちも行かないロスアンゼルスでの毎日。この生活を「ひと休み」という訳にはいかないし、「ちょっと誰かに頼みたい」とそう都合の良いようにはいくわけがない。
 そこで考え出したことは「子供達の父親が南米から子守りに来て、私と交代する」という方法。
 「ずいぶん高くつく運転手兼子守りだよ」と彼が飛行機から降りてくるのを、ロスアンゼルス国際空港で出迎えた私はといえば「雨が降ったらダメ」「夜になったらダメ」と幾つもの車の運転に関しての“ダメ”をかかえる身ではあるけれど、ちょっと住んだ車社会の長い長いコンクリート道、メチャ速く走らなければいけないフリーウェーを幾つも乗りかえ間違えないようにと幾十分を無事走りきり『私でもこんなすごいこと出来た』と感動と興奮の頂点にいたのでした。
 久しく一緒に住む、ということをしていない父と娘達が、共に暮す良い機会。私とて粘土細工みたいに、もう作りきれなくなってしまった子供達と少しは離れて一人の行動をしてみたい。
 言い残すこと、買い置きも一切やめ。この際、私風ではない生活をしてみることが良いでしょう。アメリカでは、主婦が社会的に働くということは当然みたいで、子供を育てながら働いている様子をテレビ等で知り「偉いなー」子育てしか出来なかった自分をかえりみる。その専業子育てすら、父親の側からすると非常に気に入らない部分が多いみたいで……。不惑どころか。
 ロスアンゼルスから日本と反対の方向に向けて飛行機で十五、六時間。サンパウロでは、ブラジル事務所担当のルイスと、車がギッシリ、町が車で埋まって進退極まる中、それでもジワリジワリと予定の事をこなしてゆき、渋滞を利用し、現在のこと、将来のこと……沢山話が出来ました。車をあきらめて歩いた街角、ノボタンが散る、その紫に父母を思う、子供達のこと、友人……みんな本当に遠くにいる。
 ブエノスアイレス、私の会社の諸々の報告を受け、サインをし、希望を語り、新しく仕事をしてくれるようになった青年と逢い……頼もしい若者達のアルゼンチン事務所。
 ラプラタ河の湿度で蒸し暑いブエノスアイレスの、その大もとのラプラタ河の赤土色の水面を見ながら、セリーナと二人だけで食事をする機会がありました。セリーナがいて、私達のアルゼンチン。
 日本より一番遠い国へ、たった一人でやってきて、南十字星を見ていた夜ふけもありました。やっぱり思うは父母のこと……。

 
 

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