アルゼンチンつれづれ(103) 1987年05月号

ホームスティ主に

 「一人の部屋では恐いから」と私の寝室内にある衣装部屋?の一つに、由野が彼女の持物をすっかり持ち込んで“巣”としてしまうほど、そしてまだまだ物置も私の衣装のスペースも充分にある、日本の住い方と比べると何かと、ゆとりがあるこちらの生活様式。夜など「一つ家の中よ!」と私に叱られながらも由野など恐がって階下の台所まで一人では行かれない。物音がした気がすれば、バタバタ家中を見巡り、泥棒の後遺症もある。やたら物騒だという話が聞こえてくるロスアンゼルス、エイズの本場とか言われるけれど、あまり縁の無いようなバイキンより人間の方がよほど恐い。やっぱり犬でも飼おうかな、と思ってしまっている時、「日本の女子大生を一人ホームスティさせて欲しい」という話があり、“賑やかになって丁度いいかな”
“スケートをしたいというから、それには我家ほど条件の良い家はないのだから、役に立てれば”“一部屋空いていることだし”あれこれ見渡しても、さほど難しいことでもないような気がしてしまったから……。
 アルゼンチン時代のマルガリータ以来、他人が我家で寝起きすることと相成りました。 ホームスティ主としての気構え、無知、であったことはたしか、物事の順序をおこたってしまったみたいで……。
 「本当に来るのかな、来ないのかな」とまず守られなかった日に、我家に入ってくるなり用意した部屋のドアはバタンとしまり、彼女自身の勝手な時間割りが実行され、名字がわかったのが四日後、日本にいるその母という人から電話があったのは、住み始めて一週間ほど後、「みなし児かと思ったら親がいたんだねえ」夜遅く帰って来ない日、玉由と思い当りそうな所を探し巡った。誘拐も多いと聞くから。私が外出先から帰ったら、見知らぬ男の人が我家にいた。友人とかいうけれど、やたら電話すら教えないようにしている女子供三人の守りの場所へ!私の次元ではないことばかりが起る。
 それにつけても、私は二度も、充分小さかった、教育未遂の玉由を一人でアメリカの家庭にホームスティさせた。「玉由も、こんなことしていたのかしら」と思う。冷汗。由野は「お母さん、他人を家におくということがどんなことか良くわかるよ」とすましたものだけれど。
 他人様が何ヵ月も私の子供をおいて下さったんだから、私も間接のご恩返しのつもりで何とかやりぬかねば、と決意してみたり。
 急成長の日本で育った人と、二十年間日本を離れている私が育てた子供との決定的違いの数々。
 セキュリティ会社の見廻りの人に「勝手に他人を家の中へ入れないで下さい。何事かあれば登録してない人は不審な人物として警察へ連行します。今から新しく登録することは容易ではありません」などと脅され、暗号を使うセキュリティ装置も使えなくなった。かえって物騒。家の中が華やぐどころか、音をしのばせたり、話したいことも話せなかったり……。
 注意して、少しは我家流になってもらおうか。いやいや、まったくの他人、それも二十歳近い大人、何も私流に変形することはないまた出来るわけもない……。そうかと言ってこのまま我慢し続けるほど私の神経は太くはない、間違いは訂正しなければ。
 斯して理想のホームスティ姿とはほど遠い次元で御仕舞となるのでした。私と子供達に“経験”を残して。

 
 

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