アルゼンチンつれづれ(104) 1987年06月号

ハカランダ

 祖先、親、兄弟……私の範囲の人々の律義な人生を、私も同じ……と繰り返してゆけるほど素直ではなかったから、「えい!」と南米行の船に乗っかってしまったのが一九六六年の五月でした。幸か不幸か、未知に対して不安を持つほど経験がなかったから、いとも平気に日本国を離れてゆかれたのですけれど…
 その船が立ち寄って、上陸したアメリカ国ロスアンゼルスは、青い大きい空と共にハカランダが満開でした。カリフォルニアの太陽のもと、その淡い紫の花の名前を知りませんでした。もちろん始めての出逢い、この花に関する予備知識はまったくありませんでした。天国へ吸い込まれてゆくような美しさでした。こんなにも美しい花を見て過す人生もある……と世界の広がりというものを知らされた花でした。
 そして、その時から二十年もたってしまった今、コンピュータにかけて計算をした訳けではないのに、私の庭にその花咲くロスアンゼルスの住人となっているのです。
 「ほら!お母さん」と玉由がトレーニングの帰りに一花拾ってきてくれました。今年初の零れ花。「アルゼンチンでも拾ったね」「水に浮かせたね」とは由野。幼なかった。
 私とハカランダの出逢いを「本当!そんなだったの!」と子供達。アルゼンチンで住むことになった経緯を伝えることが出来ました。
 アルゼンチンでは十一月に咲きます。ここロスアンゼルスは五月。インドやアフリカ、ブラジルとか南米の国々……ハカランダの育つ土地をたどってゆくと、ひょっとしたら一年中どこかで咲いているかもしれません。
 いつかテレビで、アフリカの悲しい場面の景色にハカランダが咲いているのを見ました。こんな美しい花のもとでも、生きている人間は、やっぱり天国にはなれないのを哀しく思いました。
 決して外の国へ出ることがないでしょう父母に、この花を見せたくて、アルゼンチンのパレルモ公園で集めた種を、三河の土に蒔いたことがありました。思いのほか気安く芽を出し、育ってゆくのには驚くのでしたが、暖かい三河でも冬が越せずに終りとなってしまいました。ブェノスアイレスもかなり寒くなるのに、何か気に入らないことがあるのでしょう。
 新宿御苑の温室に二、三本ハカランダがあります。代々木に住んでいた頃、私の窓からその温室が見える近さでしたから、しばしば逢いに行きました。何ということはない地味なやせた木に“ジャカランダ、ブラジル原産”と書かれ、公式のインフォメーンョンでは、春に花が咲くと教えていますが、手入れをしている人に様子を聞くと「長いこと働いているけれど、花が咲いたのは見たことがない」ということでした。
 どの国でもジャカランダと呼んでいますが、私はアルゼンチン呼びのハカランダが好きです。
ブェノスアイレスの街路樹となっているハカランダは、秋早々と葉を落し、冬枯れの状態が長く、本当に本当に花の時が待たれます。まだ葉が出る前に、混りっけのない花の色だけが地上も空もと町中を染めるのです。
 ロスアンゼルスに来て、ハカランダの木を見つめていると、なかなか葉を落さないので、気が揉めましたが、それでも花を咲かせる寸前に葉が落ち、落ちきらないで咲き始める木もあります。ブラジルのアマゾン地域を原産とし、世界に広がってゆき、その土地土地に順応する、しない、この木を思います。

 
 

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