アルゼンチンつれづれ(106) 1987年08月号
アメリカの学校
長く付き合ってきて、そのうえ充分に欲目で見てしまっている親の私でも気付いてやれないような小さなことを、大きく華やかに認め、誉めあげてくれるアメリカ式の教育方法に、由野が変りました。
玉由も「友達同士誉めることがない時は、ボタンだって誉めちゃうんだ」といいます。「その方が付き合いが楽しいよ」
由野は、日本の四年間何の課目に就いても宿題を一切やりませんでした。自分で「宿題はやらない」と決めてしまい、私は「そう」と言ったばかり。どのように導いて良いかわからなかったから見て見ぬ振りをしてしまった、と言えば言えました。学校のことにまで割り込んでつべこべ言うのがめんどうだった、とも言えます。
学校へは、行って、友達を得、基本的に理解しなければならないことを理解してくれればそれでいい。成績がどうの、クラスで何番とかいうことには露ほどに興味がありませんでした。日本で学校に通っている間中。由野はこの私の範囲内で、何事もなく過ぎました。
アメリカでの生活が始まって、気付くと由野がいつも机の前にいました。「まだ勉強するの!先に寝ちゃうよ」ということばかり続き、ある母親と話をした時「子供が勉強をしている間は起きている」と聞き、「おや、私はいけなかったかしら」と思ったのでしたが子供が勉強することぐらいでハレモノみたいに思うことない。私は私の現在の持場をやりぬく為に一日の運転の神経を休めなくちゃ。 日本からアメリカヘ渡った子供は、暫く英語に不自由をするというのが普通のようですが、由野はインターナショナルスクールで英語で授業を受けていたのだから今までと何も変らないわけで、それを説明したのですが先生の方が、日本から来た日本人の子供ということが先に頭にあり「着くなり英語に困らず、どのテストもクラス一、どうしてこんなに頭が良いのでしょう」と思ってしまわれたのがそもそものようでした。由野に言わせると「もう日本の時習ったことだから」という楽屋の事情がありましたが。
玉由がスケートの目的地を定め、それに由野を巻き込んだような状態でしたから子供達の父親からは「由野のことを考えないで」と非難を受けました。私は誰が何と言おうが、アメリカで学び、友を得ることは子供達の人生の良い経験になるはず、と思い込んでいるから、「でも全部私の責任」と白毛が増えてしまう程の思いを平静に装って暮した半年間。
いろいろな人種の学校友達を家のプールに連れてきて大騒ぎしている由野。
「二ヶ国語まではわかる子が沢山いるけど三ヶ国わかるのは由野だけみたい、皆絶対由野の悪口を言えないんだ」
「『由野みたいな成績だったら、車を買ってあげる』って言われている子がいるんだよ。アメリカだねえ」
夏休み前最後の日、「こんなもの貰った」と由野「何だろうね」と私。学年で一番という賞状と気付くまでに時間がかかるのでした。
「すごいんだね、いくら事情があっても、大きな学校の一番になれたなんて、自信を持っていいよ」「お父さんが喜ぶよ」「父の日の贈り物だね」
玉由は、スケートとスケートに関連したレッスンの間を縫って先生が家に来て下さり勉強をしています。勉強自体の能率は非常に良いようですが、大勢の中での団体感を知るべく、九月の新学期からは学校に通います。しっかりアルゼンチンと日本を持った元気いっぱいのアメリカっ子になって欲しい。
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