アルゼンチンつれづれ(107) 1987年09月号
アメリカの“夏休み”
“夏休みといっても、今までと温度的に変化があった訳ではなく、朝夕は涼しく、日中はさすが三十何度、四十度近くになるけれど、ジトジトしてないから汗とは無縁の暮し。蟻や蜘蛛が大活躍。木々は大きく繁り、子供達が何か休みらしいことをしなくては、の様子も、三ヶ月間もある休みだから「すわ!」と一気に始めるのでもなく……。
我家の娘達が、アメリカに混るとどんな夏休みの過し方をするのだろうとの興味は、まず、私と玉由の揉め事から始まりました。
アメリカでは16歳で車の運転が出来ます。16歳になった玉由は「友達はもう皆免許を取った」「自分専用の車を買ってもらった」「自分で運転すれば、お母さんに頼まなくてもどこへでも行ける」ということですが、車を動かすということだけなら、今時2つのペダルを踏み分ければ良いのだから何も難しいことはない、けれど人間の社会で“車を運転する”ということは“心の運転をする”ことだと思う。人の命、自分の命、世の中へのモラル、諸々がかかわっていることに気付けないような幼さ、精神の安定していない子供に、私は、そんなことをさせる勇気がない。始めは大変攻撃的に抗議してきましたが、私の経験を語り彼女の将来を望み、余分なことも話し……今では、私がいけないということの幾つかに玉由自ら思い当れるようになりました。いずれ運転してもらわねば困りますが、車で一歩踏み出す時は、世の中が広く見えるような人格になっていなくてはいけない。少しの甘えも許されない現実に立ち向うのですから。
夏休みの日々も、常のトレーニングは多くなっていますから土曜日が遊びの選択の出来る日で、毎週末いろいろな提案があります。 玉由は、スケート友達と映画や食事。友達の家へ集まって踊ったり……。コンサート。先日は、マドンナのコンサートに行き、野球場いっぱいの人々を退屈させないどころか狂う程に夢中にさせて……“彼女は凄い人なんだ”とそこの辺に感動していました。私が聞いたことのないようなグループのコンサートにも度々出かけエネルギーを発散させてくるようです。玉由の年齢は、一瞬も音楽?の無い所には居られないようで、彼女のまわりには鼓膜が麻痺しそうな音だらけ。
由野の週末は、玉由と同じ家の人間とも思われないほど異なって、家の掃除、食事の算段……こまごま働いていたかと思うと、毎週末の必需品、寝袋がまたも登場。念を入れて見ておいた地図を頼りに、体操友達の家まで連れて行きます。私の、新しい所を見る機会ともなるわけで。
ほとんどお城と思われるような家に、寝袋を抱えた由野が消える。
「よくまあ!こんな家に住もうと考えつくものだわ」と私は自分の考え方が非常に間違っているのではないか、と思い惑ってしまう一瞬です。
「あのお城みたいな家の中で何したの」「プールで泳いだの」「沢山友達集めたら、食事の仕度なんか大変じゃないの」「ピザの出前だから。マーケットの入れ物のまんまサラダなんか食べた」「朝食はどうだったの」「箱からザラザラっと出したものに牛乳かけて」「家の人は、レストランヘ出かけちゃうみたい」「夜はね、髪をいろいろ変えたり、皆でお化粧し合ったの、電気を消してからも、ずっと話ししてたの、楽しかった」
あと3分の1残っている夏休み、どんなことがとびだしてくるかな。
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