アルゼンチンつれづれ(108) 1987年10月号

日本へ出張

 「一週間くらい会社の用事で日本へ行かなくちゃいけないんだけれど。お父さんは南米が忙しくて来られないって。どうしたら良いと思う?。解決策なかったら、貴女達、私が帰って来るまで家でつくねんとしてなくちゃならないのよ。それぞれ自分がどうしたら良いか考えて報告して」困惑の私は策つきて子供達に押し付けてしまいました。
 ロスアンゼルス郊外の生活で、車に乗せて連れ回ってくれる人がなかったらそれこそお手あげ。餓死まで待ちかまえています。
 由野は「体操出来ない生活なんて考えられない」とすぐ体操友達に相談し、丁度スケジュールが同じ仲良しがホームスティさせて下さるというニュースを、その日のうちに持ってきました。「ワーありがたいのね。エイミーの家なら安心甘えてしまおう」
 我家はスケートリンク用の家なのだから、ここで一人で居ても何とか玉由の生活は成り立つのだけれど、そんな訳にもいかない。
 「オーストリアからスケート留学している子が一人で住んでて、ホームシックでよく泣いているから、彼女に家へ来てもらえば楽しく過せるかもね。出かけることがある時は、スケート友達に頼んで連れていってもらうから……」たちまちオーストリアの彼女のOKをもらい、さすがアメリカ大好きの子供達らしく、いとも容易く解決出来たばかりではなく、何だか楽しくなりそうな予感すら。
 子供達も私も準備が出来、新しい試みに期待と不安と……でも決行という時「マイアミまで来ているから、やっぱり子守りをするよ」と父親からのTEL。こうなってみると、今までの緊張がドット解けるような。子供達の経験も、アメリカじゃちょっと心配の種が多過ぎていたところ。マリワナ類麻薬の日常性。泥棒、もっと凶悪も。エイズ菌。告訴……弱い所には、すぐ入り込もうとする悪がウヨウヨしているような国だから。
 ロスアンゼルスに引越ししてから始めて、九ヵ月振りの日本。「何かおみやげを」と思ってはみたけれど、世界中から一番良い品々を集めている日本へ、今さら持って行かれる物なんて何もない。「おみやげ廃止」こう決めるとおみやげ探しの時間節約、身軽、良いことづくめ。
 「夏のお盆の頃の日本にだけは帰りたくない」というのが常々の私の言いぐさだったのに、こともあろうに「夏のお盆」に日本へ仕事で行くという絶望的なスケジュールも、真冬のアルゼンチンの事務所担当ダニエルを混えての急を要することなのだから。アルゼンチンからの彼、ロスアンゼルスからの私、成田空港で出逢うという図。
日本から離れた国に暮らしていても、父がいて、母がいて、帰る所があるという安心。田舎に籠る父母に「何か良いこと聞かせてあげたい」と思うことが、生活の励みになり、父母が悲しむかもしれないことは避けようとし、日本の父母が私の焦点であることに気付いた時、私の子供達に対しても自分が親であるということ、「とにかく生きて、子供達の焦点になっていてあげなければいけない」と悟るのです。人間としての世の人々の気持にも参加出来るようになってゆけるのです。
 暑くたって、お盆の移動の人混みだって、脛が痛むほど仕事にかけまわったって、ほんのちょっぴりの滞在でも、日本の空気、日本の草々、友人、日本に来られたってことは「嬉しい」。

 
 

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