アルゼンチンつれづれ(111) 1988年新年号

英語というもの

 「今日は何の日か?去年の今日、ロスアンゼルスに着いたの。もう一年たっちゃった」「速い!もうそんなに!!」「ケーキでも作って祝おうか」「祝えるほどのことしたかなあ!ただ日が過ぎていっただけだったりしちゃって」「何か進歩あったかな、なかったら困る、人間としての基礎固め、一番大切な年齢の貴女達に…」そして、あわただしくこの日も“毎日”の中に紛れ込んでいってしまう。 のこのことカルフォルニア州へやってきた私が一番大きく感じたことは、ここで生きたいと思う人は、皆車を運転しないことにはどうしようもないという変テコリンな生活のなりたちです。歩いたり、電車に乗ったり、人と人とがすれちがうという普通の町の普通さがない。こまやかに心が動く本来の人間の生きる所とは、とても思われない。車のことに上乗せして悪い(私にとって)ことは、植えて水を注いだものだけが生えているという植物状況。一年がたった一日だったみたいに温度的にも、天侯的にも変化にとぼしく、植物を心に、四季に移ろい……そういった雰囲気ではありゃしない。所変ればなんだから、それはそれで…としても、それにしても大ざっぱで且つ、定規をあてたみたいな面白味の少ないところ。
 ずっと昔、アメリカの国内線の飛行機に乗った時、スチュワーデスが大きなビニール袋を持ってきて、乗客の食後のかたずけを、どんどんぶち込んでいったのを見た時、アメリカってやりきれない、と思ったその感じが住んでみた今も。
 そして言葉、英語のこと。「まあ、なんとかなるだろう」と思った英語が、まったく聞きとれない、これには驚き、あきれ、情けなく……。テレビなんぞ“こりゃなんだ”と唖然としてしまった。そんな私の焦りにおかまいなく、ゲラゲラ笑って見ている子供達。
 「同じ日本人の顔してて、由野はわかるのに、お母さんはどうしてわからないの。由野は、いつから英語わかるようになったのかなあ」などと呑気なことを言ってくれる。
 アルゼンチンを始めた時も、全部の人が話しているのに、私だけ何にもわからなかった。「赤ちゃんだってわかるのに」と涙を流した。
 でもあの時は、辞書を持って、何でも一人で解決しようとしたし、私を、わかろうとしてくれる“やさしさ ”があった国。
 偏見ですけれど、アメリカの人というのは、常に自分達が世界一という自信、奢りのせいでしょうか、人をわかろうとする気持が小さいような気がする。
 日本の学校で英語の授業を受けた人は、もうだめ、なまじっか何も知らない方がまだ救いがあるような気がする。
 何十年もこちらで英語生活をしている日本の人からの電話など、私はとても英語が上手だと思うのに、子供達には、「英語がおかしな人から電話があったよ」ということになるのです。日本で習った後遺症がつきまとうのでしょうか。
 私が話すといつも、子供達が、「そういう風には言わないで」と、とても同じ言葉とは思えないように言い直してみてくれます。「これじゃ、わかるわけない!」「わかってもらえるわけがない!」
「聞いたとうりに言いなさい」「お母さん英語をカタカナに直しちゃいけない」
 子供達とテレビ見て“一緒に笑う”というのが願いだった、ずっと。このところ時々一緒に笑ったりしている自分に気付き、「此頃テレビ少し簡単にしてくれているのかな」なんて。

 
 

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