アルゼンチンつれづれ(113) 1988年04月号

玉由の学生生活

 「玉由ですよ、何していると思う?」「今授業中の時間でしょ! 電話なんか掛けて」「先生が、外で立ってなさいって言ったんだ」「それで、立たされてるところに電話があるの?」「ずっと離れた所だけど、暇だから友達に電話したりしてる訳よ、そのついで」「どうして立たされたの?」「皆で話をしていたんだけど、玉由の声が一番大きかったからじゃない」「立たされた所に、すぐ戻りなさい、そういう時は、うろうろしてちゃいけないのよ」と親みたいなこと言ってみたり。 「何しているの?そんな所で」と通りがかった友達と学校内のカフェテリアへ行って話し込んだり……充分にこの時間の杜交を楽しみ、ルンルン教室に引き返す。立たせた生徒がいなくなってしまった先生に、また叱られ「外で立っているってどうしてたら良いのか知らなかったんだもの、ただボサッとしているなんて能がないんじゃない」との玉由の発想に、先生はあきれてしまって、開放。
 「今日、図書室でランチ食べて叱られた。“今度したらもう図書室に入れない”って。皆上手に食べてるのに、玉由は下手なんだな!よし、この次はみつからないように食べるから」「そんなことに情熱を注がないでよ」 玉由が真面目に宿題をやっていたのは、学校を始めてほんの少しの間、“どうも真面目にやっているのは自分だけらしい”と気付いて、たちまち写し合う仲間入り。作文などの要所要所をこなすだけ。
テストも、アメリカ式は自分の言葉で書くのではなく“幾つかの答えの中から選ぶ”というもので、学年中同じ問題、時間帯がちがうだけだから答えを書いた紙が出まわり助け合う。「先生、わかっているんでしょうに」「わかっていても、コンピューターで調べるんだから。テストをしない訳にはいかないだろうし、クラス中同じ間違いなんてことしょっちゅうみたいよ」
 特にカリフォルニア地方がひどい、というけれど、机の上に足をのっけて授業を受けるのはあたりまえ、チューインガム、スナックを食べながら……アメリカの人達は本当にお行儀が悪い。「生徒の方が先生より勢いがいいし、すぐ裁判なんてこと言いだすから、先生は何も言わないよ」
 「学校中、大きく分けて二つのグループがあるの。アメリカ系とメキシコ系」「それで貴女は?」「うーん、どっちともなく、いえば服装の一番玉由の趣味に近いグループに居るという訳。着る物って、その人間の全てを、現わしているもの」
 学校には、大きな駐車場があり、高校に通うのに、皆自分で自分の車を運転して行く。玉由みたいに親掛り、なんて子はほとんどいない。玉由を見ていると、こんな不安定な年齢の時、一人ぼっちの車の中に閉じ込めるのは、なんだか親を棄権してしまうみたいに思えて。行きに、帰りに、その都度の言葉を交し合いたい。
 何か言って欲しくって……自分の方を向いて……そんな様子が十六歳だと思う。
 こんな学校環境の中で、コンピューターからの“折り返し、親が学校に電話をするように”という電話が、しょっちゅう掛ってくる。何か普通じゃないことをしでかすと、コンピューターに電話ナンバーが繋がれる“学校ではなく、親の責任ですよ”と処理したいみたいで。「また、玉由が何かした!」私など今では、この子たいしたものだ、と思ってしまう。ちんまりと何事もなく学校を終えた私に比べ、この堂々の天真爛漫、やりたい放題。

 
 

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