アルゼンチンつれづれ(114) 1988年05月号

飛行中

 生きているとは、常に死んでしまうかもしれない状況がついてまわる訳けで、“飛行機に乗ったから”というものでもないのに、それでも人間の生理に反して空高く舞い上ることには、心構えがいります。そんな心の構え身の構えを解く暇もないほど、このところ飛行機に乗って移動するはめになっています。 無力な私が動いてみたとて、どうにもならないようなものの、相も変らず“やってみなければわからない”“思いたったらすぐ”の発想でもって、今年に入りもう地球二周分の距離を飛行しました。
飛行中は、宇宙での自分の位置を確かめるごとく、窓にくっついて、見ゆる限りを見ようとします。
晴れの日は、地上での常の日の何倍程になるのでしょうか、広い広い範囲の地球の、それぞれの特長がワクワク見下ろせ、そこに住む人々のこと、人が住めないような所のこと美しくたおやかな様子……すっかり心が広くなった気持。
地上から雲を見るのとちがって、雲を突き抜け、雲の上から雲を見下ろす…飛行機が故障しても、雲がやさしく受けとめてくれるんじゃないか、なんて思えてしまうほど。
地上に雨を降らしている雨雲を抜け上ると天地創造の時を思わせるような太陽光線の世界、雲の上と下の格差に興奮します。
雷雲の中に混れ込むと、幾つものモコモコ雲の間を、雲の丸みが見えるように“ビビー”と鋭い光が走ります。感電してしまうのではないか…。
 夜、まっ暗、まっ黒な中、光の線、稲妻のまっただ中を飛んだこともありました。命のことなど忘れ、夢中で見入ります。すごいすごいエネルギーに“ダイヤが欲しい”などという発想はふっとびます。
 まん丸なお月様と、地上ではどうしてもそんな風にはなれない平行の、差し向う位置で飛ぶ時は、さながら“不思議な宇宙のユリ”うれしさのあまり、うろたえてしまうほど。人為的に値上げされた土地を買って、家を建て…という、そんなことには、もう思いは及ばない。
 今現在、子供達が一人前に育つようにという義務感、自制心があるから、それでも隣りの人と同じような生活をしようと努めているけれど、子供達から離れてしまえる時、自分がどんなにハメをはずして地球を楽しむかと心配でもある程ですが。
“いやなことは全部引き受けてね”“良いことはみんな私に”“私が使ってあげるから貴方はかせいで下さいな”と約束をした旦那様がいるのだから、アンズの花に間に合って日本に居ることや、アルゼンチンのハカランダ並木の紫の花を拾い上げる…パンの木の下で、パンの実に守られてうとうと……こんなちっぽけな願いは、きっとなんとかなるでしよう。
生きるうえのいろいろなことは、それぞれの専門家にまかせるのが一番良いと思うから絵描さんに絵を描いてもらい、歌手には歌ってもらう、物を書く人には、出来上ったら読ませていただきます。コックさんがコックしメードさんにはメードしてもらい……さいわい私は、何にもなれなかったから、何にもしないで、みんなみんなしてもらう係りです。 動き回るのに不自由なものは何にもいらない。さあ、これで、私のこれから先の人生はなんとかぎっしり埋まってくれるのでしょうか。

 
 

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