アルゼンチンつれづれ(115) 1988年06月号

車で

 どこも悪い所が無いばかりか、増々乗り慣れてペットを可愛がる的な気持にさえなってきていた私のアメリカ一番初めの車が、もう一年を過ぎた。別れ時です。
 車に対しての私の基本的な考えは、87年型ならば87年の間乗り、88年型に88年を託す、という一年消却です。命掛けで使用するものには、命を掛けるほどの細心の注意を払いたい。フリーウェイの真中でエンコしてしまうのなんて真っ平。夜道での故障も困る。とにかく全てのトラブルに係わりたくない、というか、トラブルを抱えてまでもアメリカで住める実力がない、という方が正直かな。
 車を新しくしなければ、と思いたってからも、日々に追われ、なかなかでしたが、この世に衝撃時、エアーバックがパッと開いて人体を保護する車が出来たと聞き知って、今回は、どうしてもこのエアーバック付きの車にしたい。“車で速く走るのはいやだ”という気持を、部品でもって少しでも軽く出来たらという願いがあって。
エアーバックとエアコンだけ…という私の単純計算にあてはまる車はなく、運転席で、前を向いたままあれこれボタンを押すと、ありとあらゆることが出来てしまう、という完全装備の車の持主となってしまった。真赤な新車を喜ぶどころか、非常に腹がたってきた。“こんなボタン装置、いらんお世話だ”といきりたっても、ボタン以外の言うことをきかない車。今の世の人は、こういう車を便利でもっともっとボタンだけで済ませたい、と思うのだろうか。玉由が、彼女は電池、ボタンというおもちゃの時に育ったにもかかわらず十二、三歳の頃、コンピューターを見て“こういうものが発達する前に死にたい”と言ったことを思う。可愛想な玉由、何とか諸々のボタンの押しかたを覚え、私より長生きしてもらわねば。生まれてきたことを後悔させないようにと育ててきたつもりだけれど、私の手に負えない世の中になってしまったみたい。その点、由野の方は、時代最先端のボタンを直感的に押す。人間生まれながらに、向き不向きというものがあるんですね。
 ドアの鍵を開けようとしてトランクが開いてしまい、四方から音が押し寄せてくるステレオを消そうとすればクーラーが入る……頼んだつもりはないのにセキュリテイシステムが大騒ぎする……。運転席でしばらく考え込まないと何をどうしてよいのか……みたいな。
 このくらいのことには、私だってすぐ慣らされることでしょうけれど、浮かない気持。「学校の友達みていると、この国の人が心を込めて安全な物を作ろうとする、ということは信じられない」という由野の意見で、このボタンだらけの車は日本車です。
 アメリカでは、セールスマンが一番車を乗り回す、というのが相場だそうだけれど、その“セールスマンの倍の距離を走った”と言われた引き取られていった前の車。私が、この世で一番嫌だ、と思っている車の運転を、沢山走るアメリカ人の倍程までもこなして子供達の便利を計ってきた、なんてことを知るはめとなった。のほほんと、その日が暮れている“もう一押し”という私の期待なんてどこ吹く風の子供達。私のストレスなんてまったくどこにも報われてない。私本来の、我侭、天の邪鬼、怠け者……こんなのが出る暇もない程の子供との日々はなんだったんだ。
 子供達のトレーニングが終るのを待つ夜更け、グッと倒した運転席で、ボタンで開けた車の天窓から、アメリカの星を月を見ながら思いは思いを呼ぶ。

 
 

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