アルゼンチンつれづれ(120) 1988年11月号

ドライビング・スクール

 “玉由”もう十七歳。何やら妙ではあるけれど、高校も終了してしまった。背丈は、私と同じ程でも、はちきれるような若さで、近くに居ると自分が衰えていることがわかってしまうような…私の心を全部注いで育ててきたにもかかわらず、同じことを私と同じ次元で考えていない…私の子供というより一人の人間であるという事実を日々知らされることへの驚き、そんな玉由の“何から何”にまでに係わっていると、自己嫌悪といおうか、もう好い加減にしなくては…。
大学っぽい所へ通う子供の送り迎えなんてとても出来る神経を持ち合わせてないのに…急にそんな事態になってしまって…。
 電車とかの公共の乗物という発想はなく、街の成り立ちも……カリフォルニアで車の運転が出来ないのは片端。
 私の最後の抵抗みたいなことで、まず、自分の身も心も状況に適するようコントロール出来なければいけないこと。私、すなわち意見をしてくれる人の言うことが素直に聞けなければいけない。一人の人間が生れ、育つという心が大切に思えるのなら……車の運転を認めましょう、ということになってしまった。
 さっそく、町のドライビングスクールに申し込むと“OK、明日ぺーパーテストを受けましょう”いくらなんてったって、少しは何か教えてくれてからにした方が!なんて私のとまどいは無視され“読んでおきなさい”という本を渡され、“読んだら”と私がやきもきしても、その本は玄関に置かれたまま。“そうだ、落ちて“何か”気が付ば良いんだから、もう何も言うまい”
 次の日、私も辞書を引き引き受けたテストを、たった十五分程で「百点だった」と通過。
 それからの日々、約束の時間に、ドライビングスクールのインストラクターが我家まで迎えにきてくれて、二時間単位の直接道路の練習に出てゆく。
 規定時間量は、たちまち乗り切ってしまったけれど、ここは譲れない“テストに受かることが目的じゃないのよ、世の中を走るということは”玉由の年齢の倍以上の時間は練習をさせた。
 「お母さんも始め困ったって言ってたムホーランドDR、一車線しかなく山のグニャグニャ道、今日そこへ行ったの、怖かった!後にすごい行列出来ちゃって、待避線によけたら、詰まりが取れた水みたいに皆が追い越して行ったよ」
 「今日は、フリーウェイに行ったんだけど車線が変えられなくて三回も違う道へ入っちゃった、お母さんの苦労がわかったよ」
 「LKのダウンタウンは、人間が歩いているから難しい」
 そういえば、ここ完全な車社会は、車が走るべく道に線が引かれてあって…という所ばかりだから、車と人間が共存するなんてことはオタオタしてしまうことで。
「夏休み前までは友達に乗せてもらってた子が、夏が終ったら皆自分で運転している」 「この辺走ってると、知ってる子にいっぱい出逢うの」一年間の高校生活で、デンと地盤を固めた玉由。
本人には直接言えないけれど、由野と私、“他のこととは違って、此の際実技テストに受かりませんように”と秘かに願ったにもかかわらず、「受かっちゃった!」と絶好調なのは玉由。やれやれ、まだしばらくはブレーキの役目を続けなければ…。

 
 

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