アルゼンチンつれづれ(121) 1988年12月号

お母さんのお母さん

 ロスアンゼルスで毎朝の目覚めにスイッチを人れる日本人向のテレビ番組で、ずっと天皇階下のご闘病が伝えられています。心が痛み人間という存在をひしひしと思う此の頃。そして母も病んでしまって。
 親とは、常に元気で、子供達の心の焦点として古里にあるもの。いつまでも親の子供でありたい。“日本に父母が居る”という安心があって、はじめて平気で外国に住んでいられる、とその大切さを今改めて思うのです。 二十数年も前のことになってしまったけれど、東京に向け、そして外国に、と父母のもとを離れてからずっと私の“安心”は揺れゆれた時もありましたが安泰でした。日本人の平均寿命というに甘え、今まで何でも平均以上にやってきた人だもの、年齢だって当然平均をこともなく越していってくれるものと信じきっていました。両親と一秒でも長く、同じ地球の人間として心からのテレパシーを送り合いたい。母の病気に、平穏だった親への甘えが掻き乱され、親が子へ、子が親へ…
と人類始まって以来の人間という絆に連なった思いです。
明治生れの律義さ、自らに持ち合わせている善の全てを尽し、精いっぱい生きてきて、さあやっと、良いこと、楽なこと、幸せという言葉のままに居れば良い時になって、病に苦しむなんて。ロスアサンゼルスの片隅で、「母上いかにいますか」と涙が零れてしまう。時には零れるものを子供達にも見つかってしまったり。
我家は、どちらを向いても、映画、テレビ関係の撮影所という環境の中、玉由の学校の友達の中にも、先輩にも、テレビ、映画に出ている人達が多く、そんな雰囲気の中、金、土曜日には、パーティやら何やら、とにかく派手に遊んでいたのが「おばあちゃまのこと思うとそんな気持になれなくて…」と夜遊びを自粛してしまった。
 由野は、今まで、ベッドも着た物もひっくり返ったまま学校へあわただしく出かけていたのが私との喧嘩のもとだったのに、このところきちんと片付いていて……。どこか緊張しているんでしょう。
 「同じ地球にいた時があったのに、お母さんのお母さんのお母さんに逢わせてくれなかった」と子供達から非難されている私ですが「お母さん、日本へ行きなさいよ、お母さんのお母さんのところへ」
 遠くに居て、苦しい息づかいを見ないでいる方が、私には楽かもしれない、だけど今、ありのままの母と共に過したい。
 「本当におばあちゃまは何一つ身体に悪いことはしなかったのか」と玉由の質問ですが、父母の家に来てみれば、木々草々の生み出す空気のもと、四季の小鳥、花々が…天国に一番近い所とはここ。私が子供を育てている公害、雑音雑言ストレスの場とはえらく違う。
 身体に良く、口に合う物だけを丁度良い量だけ食べ……それでも病む。運命というのでしょうか。でもその母を診るのは母の望んだように夫の子の孫の医に携わる者達。
 私も日頃の音信不通の兄達に逢え、頼もしいお医者さん振りに、もっと兄弟姉妹の存在を思いながら暮すのも悪くない……なんて思い至った。
母が掻き乱さなかったら、兄弟姉妹のこと甥や姪たちのことが遠くのまま月日が過ぎていったんでしょうに。親とは悲しい、身を持って“人間というもの”を子供に教えてゆくのですね。

 
 

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