アルゼンチンつれづれ(134) 1990年新年号

真赤いスポーツタイプ

 アメリカの生活では、日本と比べ子供達が大人になるのがとてもはやい。服装、化粧、自分で稼ぐという意識、親から独立してゆくことも……その独立は、16歳になり、車の免許を取った時から始まる。
 由野は、いつでも一番小さく、この子だけは、いつまでも赤ちゃんでいるのだろう……という雰囲気だったのに、16歳の夏休み、この国の人並に車の免許が取れた。
 玉由も自分の車というものを持ち、自分の行動は自分でしているのだから……もっとも玉由は情緒不安定という私の診断で、18歳まで車を与えなかったから、彼女の激しい出入りは全部私の送り迎えということで、私の神経と体力、玉由の「いつまでも親に」と恥ずかしかったらしいことと、まあろくなことなかったみたいだけれど……。
 由野は、安定した性格だから何の不安もない。唯一の間題は、我家のガレージに車が二台しか入らないこと。どの家庭も、16歳以上一人に一台ずつ車がなければ生活が成りたたないカリフォルニアでは、ガレージからはみ出す分は庭や道に止めたりしているけれど、女三人の我家に関しては、夜暗い道に止め、露の芝を踏んで自宅に入るというのは怖い。車のまんま家の中に入り、ドアを締め、やっと車から降りるのでなくては。それで、ガレージに入る二台だけで、我家三人のやりくりをしようと相成った。
 玉由の車は若々しいニドアのスポーツタイプ。由野だってそうしてあげたい。もう前後に子供達を乗せて連れまわるということも無くなるのだから、今までの四ドアはいらない。二ドアの真赤なスポーツタイプに買い換えて、由野の車の出来上り。空いている時使う私だって、このごろ玉由の友達とか由野のお姉さんくらいの精神構造だから、スポーツカーが似合うとしよう。
 おとなしく控えめな由野には、ここでパッと華やかに、アメリカの生活をしてみてほしい。アメリカのフリーウェーを自力で突っ走ってもらいたい。
 玉由が自分の車で出かける。由野もいよいよ自分の行動をする。「気を付けるのよ!」とバイバイして、二台とも出かけてしまったガレージで、私は自分が“達磨さんになったみたい”と思った。ちょっとマーケットまでだって行かれない。由野がミニ独立を果していることも大きなことには違いないけれど、自分が“何も出来ない”ことの方がショックだった。
どこに出かけるのでもなく家に居て、読んだり書いたり、世界情勢を思うのにも、自分の車が、いつでも始動の状態でガレージにあるのでなければ、一人の人間としての判断すら出来ないような気持になるのがカリフォルニア。
由野のおむつがいらなくなったら、どんなに良いだろうと、その日が待たれ、そして、さりげなく通り過ぎ、スケートを始め、氷を嫌がる由野の手を引っぱって毎日毎日……手を取らなくても一人ですべってくれたら、どんなに良いだろう……そのことも通過。カリフォルニアにやってきて、せっせと学校へ、体操へと由野を運んだ。由野が一人でカリフォルニアの生活をしてくれたら、どんなに良いだろうと思い続けて三年……そのことからも私は解放され、今は“良いことだけ”が残ったというのだろうか。こんな程度の“良いこと”ではたいしたことなさすぎる。まだまだ、もっと難しいことに向けて“……したらどんなに良いだろう”は続いて続いてゆく。

 
 

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