アルゼンチンつれづれ(135) 1990年02月号

一人旅

 百・/hもっともっと、百三十・/h…そんなスピードで走っているおびただしい車の群れの中に自分も合流してゆく、“いざ”直面してしまえば、しょうこと無くこなしてゆけることでも、その前には「すごいスピードで、あんな混雑に入ってゆくのはいやだ!」「出かけるのはやめられないかな!」、いつもいつも思う。慣れてしまって「ひとつ、ぶっ飛ばしてくるか」なんて気持には決してなれないだろうことはわかっているのに、それでも車の運転をすることが“全て”みたいなアメリカの生活を続けている。
 「飛行機に乗るのはいやだ」「疲れる」「何とか中止出来ないものか」……と考え続けているのに……気付くと、飛行機がガタガタゆれきしみ、「あ、これで死んじゃうのかな!」「私が居なくなっちゃったら子供達を可愛がる人居なくなっちゃう、飛行機が落ちたって、爆発しようがハィジャック、何があっても決して死ねない、まだ」……などと機中の人となっている。
 冬の日本だったり、夏の南米だったり、何の季節だか考えるのを忘れてしまうようなカリフォルニアを帰る拠点とし、スーツケースの中身を夏用、冬用と入れ変え、旅を続けに続けている。
 長いこと、子供達を連れて移動したものだったけれど、自分の身の廻りの物だけを持った自分一人の旅が、このところ多い。それでも今までは、私の留守には、地球のどこかからか子供達の父親が飛んできて、出掛ける私と飛行場ですれ違ったりして、子守りを交替したものだったけれど、彼の移動範囲が広がったことや、子供達が大きくなったんだからという気持も混ることから、なかなか、そう都合よく交代とはいかなくなってしまって、玉由の日本への用事に私が付ぎ添った時には初めて由野一人をカリフォルニアで留守番させることになってしまい、由野が気を付けられることには惑わないけれど、“どうしようもないことが加わったら”と心配だったことも無事経過出事てヤレヤレ……も束の間。 今度は、玉由と由野を残し、私の南米ちょっとサインをしなければいけない旅。
何しろ、ていねいに地球のはじっこまで行くような遠い国に係わっているから、飛行時間も大変なもの。用事の無い国での乗り換え乗り継ぎには、必ずといっていいほど飛行機が遅れ、接続便に間に合わないと計算出来ると、ただちに別便の手配にあたふた。
まったく知人も、知識も、私の範囲じゃない国の空港で、一人ポツネンと、ただ飛行機の出発する時間だけを待っていると、“私、いったい何なんだろう”“何をしているというんだろう”居ても居なくても、誰の輿にものらないその空港での自分の存在。妙な思いに至る。
 “このまんま、今までと全然関係なく、どこかで生きちゃったらどうかなあ”……。
“飛行機に乗らず、車にも、何のボタンも押さない”……となると原始に近づかざるを得ない……とすると、虫達がワッと寄ってきて喰いつかれるのはいや、自力で食料集めなんて無理も無理。
 きれいなトイレがあるところ以外は断じて行きたくない……という私の生きる基本的希望を満すところは……。
 私を待っていてくれる子供達がいるカリフォルニアヘ、一秒でも速く帰れるように、と手を尽すのです。

 
 

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