アルゼンチンつれづれ（160）　1992年03月号

ダイエット

　玉由が妙な手付きでリンゴの皮を剥いている。
　私「どうしたの、そんな変なことして。普通に出来るのに」
　玉由「“皮を剥く”という時、いつも思い出すんだよ。アルゼンチンの小学校の時“ナイフで果物の皮を剥く”という授業で、お母さん、アルゼンチンのことがよくわからなかったんだね、グレープフルーツを持たせたんだ。困ったんだ。あのこと、決して忘れられない」
　私「え！そんなことあったの。言わなかったじゃない。それで、私が教えたみたいにナイフを使うのいやなんだ」
　玉由「そう!!」
可愛がりの極致をしてきたつもりだったのに、私は、こんなに子供を苛めていたんだ。今になって胸が痛む。
子供達が生まれる前には、仕事ということをしているつもりで、書類を携え、アルゼンチンと日本とをよく移動した。
　そんな癖がついてしまって、子供達が生まれてからも、止まることを忘れ、子供と子守りを連れ、思いたった所へ出掛けていった。人参やオレンジ、リンゴ……おろし器、絞り器等々と共に。何処ででも、時間が来れば、新鮮なのをすぐ食べさせられる……と。“健康に良い”という味がする自家製のクッキーも海苔の空き罐に入れていつも持っていた。　こんなに可愛いんだもの、何が入っているかわからない物を買って食べさせられない、と。
　幼稚園へ行く、学校へ行く、と、だんだん私から離れる時間が多くなり、そして、バターや砂糖がたんまり入った魅惑の味を知り……日本留学中は、電車に乗って学校へ行く日々に、私から友達へと時間が移り、あの味、この味、目をまん丸くして知っていったにちがいない。
　とうとう「屋台のヤクザさんの焼そばは、お母さんが作ったのよりずっと美味しい」ということにも気が付いた。
　私だって、清潔な母の味を抜け出して、何だって美昧しく昧わう術を知っているのに、こと子供に関しては、本当の私を見せてこなかった。良い観客がいて、一生に一度の優等生を演じてきたのだと思う。
　玉由は、本当に健康だ。スポーツをするべく生まれてきた子のために、カルシウムもビタミンもタンパク質も鉄分も、パーフェクトに心掛けたのだから。
　その健康体を苛めるようなダイエットの日々。
　「お母さんと行く時は、一番良いレストランにしようね」と玉由の提案で、お酒落してワインを選び、食事をすることがある時の私達二人。素直に明るく、何と話が合って、こんなに楽しい時を心から感謝できるのに、現在、わが家の中には、直接口に入れられる物は何も買い置いてない。食べ物は敵。
　“こうしていれば確実にやせられるのよ” と、私風のレシピで、私はどんどんやせてゆく。けれど玉由は、そんな訳にはゆかない。“やせなければならない”“隣で私がやせてゆく”“本当に嫌味なことだと思う”“何年間も、心と身体をまげてきた”“私だってもう嫌、限界”
良いことにも、悪い？ことにも、興昧ありのところにはすぐ参加して、時には羽目もはずしてしまい……そんな、本来の私になりたい。
　どっかり座り込んで、クマのプーさんみたいな玉由に戻してあげたい。
　そして、あぶなっかしくも魅力ある一人一人となって、そんな風に私の家族と付き合ってゆきたい。