アルゼンチンつれづれ(161) 1992年04月号

オリンピック

 身も心も日一日と研ぎ澄まされて、“オリンピックヘ行く”ということに、最早迷いはなくなっていた。
大きな国の大きなサポートとは違い、国なんてものじゃない、超個人での仕度も、アメリカで知り合ったアルゼンチンの人達が心を込めて手伝ってくれた。
 華やかなスケート着も、ちょっとコケットな音楽に合わせたオリジナルプログラム用のもの、ピアノ曲に合わせたドレッシーなフリープログラム用のドレス、単純で且つ普通でない練習用の衣装も……夜を徹して出来上った。
フランスでのオリンピックヘ行くのに、スイスのジュネーブの飛行場に着く、などというのも、いかにもヨーロッパ的。
飛行場には、主催のオリンピックからの迎えの車が来ており、アルゼンチン国も車を用意してくれて“どちらの車に乗るか”でもめた。誘拐、テロからわが身が守られるという他人事のような出来事の当事者となって、よくよくのチェックがおもしろかった。
ジュネーブから、オリンピックということへの入口まで、暮れてゆくアルプス山脈に、二時間半もかけて分け入る。まっ暗くなって辿り着いた所で、顔写真付、何国の何の部門で参加するか、が書き込まれている、常に首からさげていなければ何事も始められないカードが作られ、玉由は、競技者として性反応テストを受け、「女の子に間違いはないって!」などとはしゃいだ。
 またしばらく雪の山道を走り選手村入り。 アルゼンチンの宿はカナダやノルウェー、コリア等と同じだった。コリアチームの階からニンニクがワッと匂ったのにはびっくり。そして、もっとびっくりは、割り当てられた部屋に電話がないことだった。とにかく連絡しなければならないことがあり、ロビーの公衆電話に行ったら、フランスのテレホンカードでないと用が足りない。どこにも売ってない。聞いてまわったら、昼間のオフィスアワーに郵便局へ行かないと買えないということだった。夜中の選手村で困った。本当に。
 次の日、アルゼンチンに割当てられている練習時間に間に合うように、まだ夜星の山道をバスに乗ってスケートリンクまで行った。 そこで絶望的なことを聞かされた。『アルゼンチンはスケート連盟がなく、世界スケート連盟に加盟していないから、オリンピックに参加させない』と。
 半年も前に、オリンピック委員会の指図のように手続きをし、「これでOKですよ」と正式の許可を得ていたのに。どういうこと。 「お母さん、こんな思いまでして! もうスケートは続けられない。これでもまだやりなさいって言う?」
「強制は何も出来ない。このことに向ってきた日々、私は、とても幸せだった。玉由を始め、アルゼンチンのオリンピック関係の人達、友人達、皆ベストを尽くしてくれた。私は、もう満足出来る。玉由、ありがとう」玉由も私も、これでスケートということは終る、と思った。
 玉由の参加するはずの試合の観客席の人となった時、玉由が叫んだ。
 「この人達に負けられない。今まで二十年間やってきたことをこんなかたちであきらめるわけにはいかない。今より、ずっとずっと技を持って、きっとオリンピックに参加したい。そのための努カなら何でもする」
 私達にとって、こんなにつらいことにも、くじけてしまわない玉由がいた。

 
 

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