アルゼンチンつれづれ(164) 1992年07月号

由野スイス卒業

 まだまだ冬が抜けきらないような、とても夏のことへなど思いが至らないというのに、「もう夏休みなの」
 と、スイスで大学生をしていた由野からの電話。
 「えー」
 と驚いているうちに、ロサンゼルスヘ帰ってくる日付けや、飛行機の便名が知らされてきて、「これで、スイス生活は卒業するよ」との、スイスを引きあげるダンボールが届き始める。
 そして、とうとう本人も大荷物で帰り着いた。
 由野「スイス風のフランス語だけれど、もうフランス語も困らないし、次の大学は、アメリカ東海岸の方へ行ってみたくて、ボストンを選んだよ」
 私「まったくのジプシーじゃないの」
 由野「お母さんがそういう風に育てちゃったんだから。あちらの国、こちらの国と六、七年かけて大学生をやるつもり」
 私「まあいいか。自分で考え、自分で手続きしていることだし、私にしてみれば、子供のおかげで知らない世界に近付けるんだから……これを面白いと、楽しまない手はない」 私「せっかくアメリカといっても、ボストンとロサンゼルスでは、時差三時間、フライト時間が約五時間。やっぱり行ったり来たりは遠いね」
 とは言いつつも、夏休み終了後の九月より大学二年生をボストンで始めるということは決まってしまった。
 おとなしくて、玉由と私の言うなりになっていると思っていたら、どうしてどうして、家中で一番、身も心もバガボンド。由野の名前を考えた時の“野”のあたりが活動を始めてしまったのだ。
 そして、由野の二年分の荷物の中味に驚いた。
 私「見たことのあるものばかりじゃない。“何か買う”とかいうことをしなかったの?」
 由野「買えば荷物になるから。移動に不自由するし…。学校の本だけは増えてしまったけれど……」
私「それでも、おみやげとか、思い出に何かという気はなかったの?」
 由野「家には何でもあるし、ひょっとしたらというより、必ずお母さんや玉由の気に入らない物なんか買ってきたって仕方がないじやないの?」
 斯くして、由野は、スイスの銀行に、彼女しか自由にならない隠し財産?を残してきたらしいのだ。
 私が、子供達の時間を一秒でも守るためのサポートの鬼と化していた時に、ポッと出ていってしまったんだから、食べ物の作り方とか、何かを教える、なんて次元には達していなかった。
 だけど二年間、ちゃんと何やら食べ、勉強をし、人を知り……。
帰ってくるなり、自炊生活で覚えた、あのサラダ、この食物と、玉由と私に作って食べさせてくれ、“由野が帰ってきたら、してもらうこと”がいっぱい溜まっている家で、せっせと全てをこなしてくれているけれど、これから先の夏休みは、日本の祖母の家から、父親が通った上智大学のサマースクールで、日本を知る授業を受けるのだとか。
 一番しっかりしていてほしいと願う日本人の部分も、ちゃんと彼女のスケジュールに入っていることにホッとした。
そして、
由野「ボストンの大学では、語学はドイツ語を選ぼうかな。そしたら、今度はドイツヘ行くって言いだすかもね」
 などと言うのも、落着いて聞いていた。

 
 

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