アルゼンチンつれづれ(197) 1995年04月号

弱かった由野が

 「今度の冬休みは、スイスとフランスの友達の所へ行って、スノーボードしてくるんだよ」とか、「ロンドンヘ行って、大学院のことを調べてこよう。友達がいるから泊まる所には困らないもの」
 由野は、スイスのインターナショナルスクールに行っていたことで、ほとんど世界中に友達がいて、何日間か休みがあればすぐ飛行機に乗って、どこかに出かけてしまう。いつも先手先手で行き先が決まっているのだが、珍しく、「春休みが一週間あるけど、どうしようかな」と電話をしてきた。
 「母親が居るのだから、日本にいらっしゃい。私が東京で学生していた時は、休みのたびに田舎の両親の家に帰ったのよ。そういうものだと思っていたから、旅行をするという発想がなかったなあ」
 「そうだね。夏休みには日本へ行くつもりだったけれど、まだ六ヶ月も先になってしまうものね。途中、カリフォルニアの玉由の所にも寄れるし……」
 斯くして、大きながらんどうのスーツケースを携えた由野がやってきた。
 飛行機が遅れて着いて、ちょっと遅い夕食はやっぱりおすし。行きつけのすし屋がもう暖簾を下ろしていたのに、ボストンからやってきたことを喜んで、招き入れてくれた。貸し切りとなったカウンターで、ボストンの良い鮪は全部日本へ行ってしまうから、あちらではおいしいのが食べられないんだ。もっとも、アメリカでは日本食が一番高いから、学生にはなかなかなんだけど……」などと話しつつ、日本の春先の細やかな魚貝を喜ぶ。ちょうど、新しい日本のお酒を喜ぶ。「ね、日本っていいでしょう。もっと度々帰っておいで。その時々のおいしさがあるよ」
 コンピューターの元の頭脳に当る部分の勉強をしていて、朝から夜中までコンピューターに集中しているらしい。コンピューターが最先端だから、もっと古い考古学も勉強しているのだとか言っていた。なかなか食物を作ったり、買物をしたりする時間もないらしい。……いろいろな話が飛びだしてくる。
 改めて私の所へ来て、食事の算段をしなくても食事が出来ることに、いたく感動していた。一緒に暮らしていた時には、食べられない物がいっぱいあったのに、世界中に友達が出来、世界中を動き回り、世界中の食物を食べ、「由野、それ、嫌いだったじゃないの」「今は何でも大好きだよ」。うれしそうに食べている。食べられることに感謝している。 玉由を叱ると由野が泣いていた頃。大きな声を出しただけで涙を流してしまうような子だった。いつもいつも高熱を出して、「由野が死んでしまう」と私を何度もパニック状態にした子。思い返すと、弱かった由野を腫れ物みたいにしているのに私が飽きてしまった時、私から独立していった時、逞しく、強くなっていった。強くなっただけ、優しさや思いやりの心が加わった。
 遠く離れ、それでも影響し合い、時々はあまりに遠くにいることがジワーッと恐ろしくなってしまうけれど、もっと強くなっていってもらうしか仕方がない。
 からっぽだったスーツケースは日本の食料品で満々となり、「お母さんが、可愛い可愛いと言っているうちに帰ろう」と……。太古の人類の骨格や細かい細かい英語がぎっしり書かれた考古学のレポート用紙を、「もう勉強し終えたから、裏の白をメモに使ってね」と置いていった。またまた私は『由野』って思ってしまう。

 
 

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