アルゼンチンつれづれ(198) 1995年05月号
日本人なんだから
「お母さん! お母さんは本当に世話がやけるんだから! 今度はサリンガスだなんて変なことになって。危ないような所に出掛けてはだめだよ。円高もすごいね。こんなことで家の仕事大丈夫なの。話は変るけれど、曙と貴ノ花とどちらが勝ったの。このごろ日本語放送を見ているんだけど、相撲って面白いよ。千秋楽のゲームは用事があって見られなかったから、どうなったか知りたいの」とはロサンゼルスの玉由からの電話。
私が日本に来てしまったから、日本の方向を見ない訳にはゆかないらしい。
「日本のサリンガスのこと、アメリカで大報道だよ。何のことかよくわからなかったから『TIME』を買ってきて読んだんだ。恐ろしいね。日本にもひどいことを考え出す人間がいるんだ。いつも、何か起っても遠いところの出来事のような気がしていたのに、今度は、我が家の日比谷線だから驚いた。夏休みにアルバイトに通ったところだものね。」
「お母さん、出掛ける時にはバスタオルを持ってゆきなさい。少しはましかもしれないもの」とはボストンからの由野。
天災につけ、人災につけ、良きも悪しきも日本のことは、全部私の責任と心得ている子供達に気をもませることばかり起っている。 思いや経験の限界をはるかに越えてしまう出来事が相次いでいる。
子供達がよくぼやいていた。「いったい自分は、どの国で仕事をしたり、どこを自分の国として暮らすことになるのだろうか」などと。「決まっているじゃないの。私が育てた私の子供なんだから日本人よ。世界のどこに居てもよいけれど、これだけは変らない。いつでも日本に帰れば自分の場所があるっていうように、これからちゃんと日本での我が家の本拠地を作るから」と私。そして、子供達が帰ってくる所をどこにしようか……と思いついた矢先。これからの日本の事情に合せた所を考えなくてはいけなくなった。
今までの外国生活では、大きなビルのエレベーターに乗って、という住まい方が一番手取り早く、安全なような気がして、阪神の震災で、沢山の家々の集合ビルに住むということの難しさが見えてしまったし、地下鉄を毎日の足とする地域もまた駄目になってしまった。夏休みに子供達と旅行をした伊豆で「こんな所に住もうかな」と私の独り言に、「成田に着いてから、何度も乗り換えてこんなに遠くまで逢いにくるのは大変だから困るよ」と念を押されてしまっているし……平穏に生きることの難しさを思う。
今まで、外国という所は何が起るかわからないと、心身共に構えていたから、子供達にはどんな災難からも素早く逃れられるような体力をつけなくてはと、スポーツをさせてきた。そして、速く走り、腕力はあり、敏捷性も養われた。
日本に住んでいたのなら、お琴を弾くとか書を書く、絵を描く…そんなおとなしいことをしていてもらいたかったような気がする。でも今や、日本でも機敏に逃げ出さなければならないようなニュースばかり。
日本に帰りさえすれば、日本に帰れば大丈夫、日本があるから……と、身も心も甘え、思いを馳せて、外国で生きてきて、今、日本に来て「あれ」「あれ」。どうしたらよいのかわからないようなことばかり。
でも私は日本人なんだから、どんなことがあっても、日本でのことに甘んじてゆくより仕方がない。もう逃れてゆく所はどこにもないのだから。
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