アルゼンチンつれづれ(202) 1995年09月号
世界地図の中へ
「何を考えているの?」「何を食べているの?」「外出はするの?」「何か忙しい事でもあるの?」……あれもこれもとすべて質問されてしまう程現実離れした私の、日本に住む日本人になるためのリハビリの日々は、たちまちの年月を重ねてしまっている。そんななか、さてセリーナの住むアルゼンチンまで出掛けようと思いたてば、かつて飛行機に乗り続けていた日々はどこへやら。「どのように成田空港まで行けばよいのかしら……」
どうにかこうにか、久し振りの飛行機に乗り込んだら、自分の座席に小さなテレビが付いていた。「おや!世の中どんどん変わっているのだ。私が過去になってゆく……」
もちろん日本やアメリカのテレビのチャンネルがそのまま見られるのではなく、五つ六つのセットしてあるビデオがチャンネルで選べるようになっている。マリリン・モンローが出ているクラシックなものや、アクションもの、普通のもの……面白がってあれこれ選んでいて、一つのチャンネルに釘付けになった。
世界地図の中に、私が乗っている飛行機が刻々と飛んでおり、飛び発つ速度、現在速度、「え!九百キロの速度で飛んでいるなんて知らなかった!」。外気温度、「すごい、マイナス五十度だなんて!」。たたいてみると、ボゴボゴと音のする頼りがいのなさそうな窓の外の温度は伝わってこない。目的地までの飛行時間は、一分を単位にどんどんと減っており、窓の外が雲の景色であろうと闇であろうと、自分の置かれている立場を理解しながら、自分で飛行機を操縦しているような気持になって、成田からロサンゼルス空港に着地するまでをテレビに見入っていた。漠然と地球を何十周もしてきた飛行機の旅が、今はっきりと数字になった。閉じ籠ってちゃいけない。なんて反省をしてしまう。
テレビが、アメリカ大陸の上を飛んでいることを知らせているから窓を見るとそれはそれは平らな、広い広いアメリカが見下ろせて、こんなに広い所で、玉由が一人で学生をしているのだと思ったら、ワッと淋しさが押し寄せてきた。広さに対して、玉由一人というのがあまりにも小さく感じられて心細かったのだけれど、空港に降り立つと、玉由がしっかりと私を保護してくれる大きさに思えた。 「今はね、授業を抜け出して来てるんだから、学校に帰るよ」と、あっというまに私は玉由の大学のキャンパスから、どこまでも続くかのカリフォルニアの海を見て待っていた。
玉由のクラスメイト達が、どやどやと「玉由のお母さん」に挨拶をするのだと来てくれて、授業の終りを知った。
“挨拶”がとても上手なアメリカの子達に感動してしまって、素晴しい環境の宝のような大学での学生生活をしている玉由。良かった。
日本から一番遠い国アルゼンチンヘ行くのには、ロサンゼルスはまだ旅を始めたばかり。次はニューヨーク。由野がボストンから飛行機に乗ってニューヨークまで来てくれて、南米に乗り継ぐ為の六時間程を一緒に過ごせた。
久し振りのニューヨークはタクシーに乗って。「お母さん、ソーホーは可愛い街よ、行こうよ」ということで、私には、“ウエストサイドストーリー”ばかり思い起させる、『ちょっと汚なさの中を歩き、ファッションも何だか私から、かけ離れていってしまったなー』
「この前、ここで玉由と食事をしたの」というフランス料理屋で、先週行ってきたジャマイカの話、来週行くトロントの話、由野の夏休みを聞きつつ「カンパイ」。
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