アルゼンチンつれづれ(231) 1998年02月号
セリーナを見舞いに
父の介護の模索をしている最中に、「アルゼンチンの私の母、セリーナが肺炎で寝込んでいる」という知らせがあり、お見舞いにゆこうと思う。セリーナの妹達も、一人はアルツハイマーが進みつつあり、もう一人は腰痛につき何事もままならない生活を余儀なくされている。
私がアルゼンチンに着いてしまって、なにもかもなくし途方にくれているとき知り合い、それからずっと、しっかり私を受けとめていてくれた人達。アルゼンチンに導いてくれた数々が思いよみがえる。
ブラジルの会社からは「二、三箇所にサインが要る」と言ってきている。それも九七年中に終らせなければならないとのこと。
ニューヨークに住み始めて一年近くになる由野の家にもまだ行ってないし。
日本を離れられない気持がしていて、のばしのばしにしてきたけれど、もう行かなくては。成田からニューヨークまでは、冬期のジェット気流に逆らって飛ぶから時間が掛かるうえに、揺れた揺れた。シャンパンを飲んで、飛行機が落っこちても平気なような気持にはなっていたけれど、カクテル用のシェーカーの中にでも入っているみたいだった。
それでも無事ニューヨークに着くと、由野が迎えてくれて、たった一日の滞在を十日分にもしてしまうほど、由野のニューヨークでの範囲、ティファニーからソーホー、ブロードウェイ…歩きまわった。途方もなく大きな、途方もないことが起りそうな、途方もない人種のるつぼ。ここに私の由野が一人で暮らしていることに溜息が出てしまう。
由野と別れて、ブラジルヘ。寒くて耳も鼻もまっ赤になって歩いていたニューヨークから、三十数度の蒸し暑いサンパウロに着くなり盲サインの幾つかをして、昼食も夜食も仕事の関係の人と共にする段取りなっていて、ブラジルに行ったら、したかったこと、食べたかったもの…は皆満たされないまま次の日にはアルゼンチンヘ。
アルゼンチンでは、まず長い留守をした家の掃除から始まる。
セリーナは、彼女の生活のスケジュールは決っているから、訪ねて良い時間と悪い時間と、電話も掛けて良い時間しか掛けられない。掃除の合間の、掛けて良い時間に電話をして、訪ねて良い時間に訪ねる約束をし、私の家とスープの冷めない距離にあり、お手伝いさんと自宅療養をしているセリーナを見舞う。思っていたより元気で、まずは安心。
セリーナは病床からも電話を掛けて、彼女一族への釆配をしているのだけれど、たちまち二人の妹を呼び寄せて、以前していたような、昔のままが再現される。話題はもっぱらセリーナの両親の桁外れの富豪の生活ぶり、交友…。玉由と由野の小さかった時のアルゼンチンを飛び跳ねていた様子…。
素晴しい人達に出逢えて、素晴しい時が過ぎたことを確認する。
帰りの乗り継ぎの飛行機がニューヨークでエンジン故障とかでキャンセルになった。
まったく消されてしまった私の一日について妙な気持になった。
もう一日セリーナと一緒に居られたのに。由野と過すことだって出来たはず。予定どおり日本に着き、するべきこと、溜まっていることがいっぱいのはずの日だったのに…。
航空会社のデーター以外には、私の存在を誰も知ることのない一夜は、ニューヨークのホテルの窓から少し欠けている大きな月を見ていた。
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