アルゼンチンつれづれ(243) 1999年02月号

コンピューターサイエンス

 地球最先端のコンピューターエンジニアになるように、と生まれた時に言い聞かした由野が、彼女本来のコンピューターサイエンスを活用しての仕事を始めてから半年と少し。大きな会社に入って、どうしてすぐにそうなるのか、私にはよく分からないのだけれど、由野が教えた後輩がロンドン支社やホンコン支社やらと出てゆくのだとか。
 ロンドンに行った人が風邪をひいたからと、ニューヨークに居ながら由野がロンドンの仕事をしてあげたり出来る世の中になったらしい。
 担当する画面の一ミリのずれを夜中かかって直したり、二十四時間態勢の仕事の、早朝の係り、夜中の係り、緊急事態発生に何時も対応できるよう、ポケベル、携帯電話、ノートパソコンを常に持っている。
 そんな日々に、「一週間休みがとれたから日本へ行くね」と。バケーションはコンピューターに近寄らない…なんて言ってはいても、東京の家にいながら、あちこちの国から呼びだされ、コンピューターの前にいる時間が長かった。
 由野が東京でしたかったこと。日本酒で、すし、ふぐ、ちゃんこ鍋、やきとり、またすし、これで五日間のバケーションは終わってしまった。
 喜んで、楽しんで日本酒をいっぱい飲み、病弱で、大粒な涙ばかりこぼしていた由野が、こんなに頼もしい大人になってくれて…。 弁護士になって、地球平和の何らかの役にたてるように…と、やはり言い聞かせた玉由が、今、彼女の全知全能でもって弁護士への勉強に取り組んでいる。
 「勉強は好きだし、すればするだけ自分のものになってくることが面白い」と、寝る暇もないほど、ニューヨークの家近くの図書館に特別許可をもらい、自分の勉強部屋みたいにしているらしい。長くいたカリフォルニアだったら友人が沢山いて、勉強ばかりはさせておいてくれないから、ニューヨークだから集中していられる、と。
 五時間ぶっ続け、五時間書き続け、テストが一週間ほど続いて、テスト中は食事も出来ないからべーグルをかじりかじり…なのだそうだ。そして、冬の休暇。日本で「ボッ」としていたい、と。
 「ボッ」とするという発想から、ゴロ寝…になって…「そういえば、アメリカのテレビで、日本の築地のマグロがゴロゴロしているのをみた。本物のマグロがゴロゴロしているのを見たい」
 時差で早く目覚めたのを幸い、築地市場へ出掛けた。ターレットというエンジン音を響かせた台車が、かなりのスピードでもって行き交っている所へ、仕事の邪魔をしてはいけないし、素人には難しい場内。それでもようやくマグロゴロゴロにたどり着き、一本が百万円を越した価がつくのはあたりまえ、とかすべてけたはずれの、鮮魚。青果。
 場外は、お正月の買物をする人達が押し合い圧し合い品定めをしている中、外国育ちの玉由が選んだ物は、新巻鮭の厚切りを二切れ、良く成長しているカズノコを二腹、これだけでもうお正月の仕度が出来た気持になってしまった。
 私の絵の仲間達とのパーティにも参加してニューヨークのアート事情を丁寧に話している玉由。私が三河アララギ賞の斉藤恭子さんを千葉の病院へ見舞うのにも一緒にきて、大変な病状にも、美しくまどかな斉藤さんにおめにかかれたことに感動し、明治神宮に詣で、三河の祖父と同じ雑煮を喜び…そして学生に戻っていった。

 
 

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